空みたこと花

冬と乾季はじめました

おくれる

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 さてなにを書こう、と思って瞬時に想起されたのが、15歳前後のころアトピーがひどくなって行った京橋の東洋医の「きみは気塞がりなんだよ」というひと言で、首筋のリンパのあたりで気が詰まる、みたいに指先を首へ当て老医師は説明してくれた。これをその場で「気詰まり」と読みかえたことから深く納得し感心もしたのだけれど、それと常々自覚される発語の「遅れ」には通底するものがある、と感じられる今朝。

 この自分、という閉鎖系のくくりでいくら発想したところで、まず身体が皮膚呼吸や感覚把握によりその全体で外気外界と連なっていて、ゆえに心身症的徴候を「身体」なり「精神」なりのいずれかに帰して済ませる態度はしばしば空疎な理屈へ嵌まりこむ。いま抱える世界認識によって了解できる枠組みへ感覚対象を落とし込めれば何かが免罪される気になるという、この外界に対する無自覚で過度のおもねりや依存が不自然な「形」を生む。自分の場合おそらく成人までのアトピーであり現存する局所的な凝りであったりするけれど、人によりそれは自傷行為であったり肥満や拒食、アルコール薬物やセックス依存であったりするのだろう。(これらの症候に苦心する人々が須らく心身症的というのではない)

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 こういう思考の連なりは、ある種のひとからみれば蒙昧さの証にしか見えないはずだが、それはそれで科学依存への無意識の不安が映す自己投影でしかない。このとき彼や彼女は自らの鏡像を見るためぼくを見る。けっきょく正論の拠って立つ社会そのものが規範的にも基盤的にも揺らぐとき、その揺れを等閑視する「いい人」たちはアテにならない。してはいけない。自分の直感こそ正義という幼児性を裏返しに抱えているのが科学信者というもので、自律的に考える言葉をもたない関係性を世間という。

 どんどん遅れる。溜まりこむ。巻き戻す、追いつく、はそれ自体がどちらもひとつの別様だ。だから字面を照らせばあらゆる瞬間、それらは逐一ファンタジーを生んでいく。巻き戻せないし、追いつけない。つまりはそういう時を生きている。という選択であれば今できる。それこそはかけがえのない恵みだな、とは素朴におもえる。感謝しつつ、為せば良いというリアルを生きてあれたらいい。鏡面にきらめく光、そこに宿る形を意志という。よく見つめ、よく映す、呼吸する。その連なりには居座らない。痕跡はふと振り返るものとしてあればいい。散歩の足あともときには描く。それはそれで発語なんだよ。とどけばいい、ね。

 

  

(※写真は今年9月インド北部チベットザンスカール・ラダックにて撮影)

運慶、鑿、円成

  

 しからば物を作るとは、如何なることであるか。物を作るとは、物と物の結合を変ずることでなければならない。大工が物を作ると云うのは、物の性質にしたがって、物と物との結合を変ずること、即ち形を変ずることでなければならない。

  西田幾多郎 「絶対矛盾的自己同一」)
 

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 十九年ぶり、ということになる。
 
 上野東博まで東下った円成寺大日如来坐像の、イマジナリーな脊柱のS字曲線によりつくられる後ろ背の窪みが孕む艶やかさを、脇から眺める。かつて奈良円成寺の多宝塔地階の暗がりで得た視覚記憶の描くS字カーヴに、それは精確に重なっている。安元二年、西暦1176年作のこの坐像にとって、たとえばこの十九年という時間はどのようなものであったろう。剥落による積層の、終わらない彫塑の尖端過程として。
 巡った寺社のなかには当時、阪神大震災の傷痕を生々しく残す場所も少なくなかった。

 
 現在を単に瞬間的として連続的直線の一点と考えるならば、現在というものはなく、したがって時というものはない。過去は現在において過ぎ去ったものでありながら未だ過ぎ去らないものであり、未来は未だ来たらざるものでありながら現在において既に現れているものであり、現在の矛盾的自己同一として過去と未来が対立し、時というものが成立するのである。
  (西田、同)

 

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 円成寺大日如来坐像は、現存する運慶最古の像で、二十代後半の作とされている。個の創作履歴初期においてその表現性はすでに至高の域へと達し、それがそのまま流派の粋であり日本彫刻史頂点の一角を形成する点に、この坐像の凄味はある。重厚な具象性を抽象美の内へ閉じ込める独特の頬の膨らみや二の腕の描く優美は、大陸風を強く残す謎多き止利仏師から定朝様を経たこの国の仏教美術が、純然たる土着展開のルートへと切り返すターニングポイントにこの像が坐すことを物語る。それはまた外来の仏教が数世紀を経てようやく真の土着化、すなわち密教的深化を遂げるタイミングとも軌を一にする。
 そうして840年間、一度も印契を解くことなく衣紋の襞を戦がせることもなく、そこへ坐しつづけている。あるいはそのようにいま、見えている。

 
 かかる物の見方は物を外に見るのではなく、物を内に見るということでなければならぬ。それは自己の外に他を見、その他が自己であるという私の所謂真の直覚と考えられるものでなければならない。自己の内に自己を見るという自覚に於て、内に見られる絶対の他と考えられるものは物ではなくして、他人という物でなければならない。而してかかる他が自己に於て見られると考えられるかぎり、それは自己でなければならない。自覚的限定の形式に於て物の人格化ということが考えられるのである。而してかかる人格的世界の内容が情意の内容と考えられるものでなければならない。
  西田幾多郎 「私と汝」)

 

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 東京国立博物館特別展《運慶》のため奈良から上京したネット上の知人と、会期の最終日夕刻品川にて待ち合わせた。彼女からバンコクに住む理由を尋ねられ、予期していなかった質問にこう即答する自分に内心すこし、驚いた。

 

 「日本語で考える生活に飽きたから」

 

 飽きたという表現が正確ではないことは、言ってすぐに気づいていた。ほんとうに触れてみたい日本語は、一度離れることなしには獲得されない。という直観。切迫感。この窮屈が幼い頃からの気詰まりによるものか、他の何某かの欲望なり不安なりの反映なのかすらわからない。ゆえにそれは必要であり、必然として踏むべき乖離の階梯、とかつて目した。もっともそこは話の流れと関係なかったし、タイである理由とは無縁の細部ゆえ敢えて訂正はしなかった。死ぬまでここに坐しつづけるか。誰から頼まれてもいないのに? 自らを縛りつづけるか。その両足で君は動けるのに?

 

 礼拝の対象である本尊仏は、本来正面からのみ崇められ畏れられる。光背すら伴う背側の造形はしたがって、当時の社会的要請からみれば基本的に不要であり無用であった。誰から頼まれてもいない。言語行為論、発話行為仮説が示唆するのは、あらゆる因果論的および目的論的解釈の両者が成り立つ言語的表象と同様、表現行為の全体が可能な二通りの解釈を有するということだ。うちひとつは情報の伝達であり、もうひとつは観念の現実化である。その瑞々しく表出された背面の曲線に、即時的「伝達」の機能は込められていない。ではいったい何のための「現実化」か。名辞がそうであるように彫像もまた成果であるのみならず、つねに導因の一形態なのだ。

 
 かくして知覚の野を何処までも深めて行けば、アリストテレスのいわゆる共通感覚 sensus communus の如きものに到達せなければならぬ。分別すると言えば、直に判断作用が考えられるのであるが、判断作用の如く感覚を離れたものではない、感覚に附着してこれを識別するのである。此の如きものを私は場所としての一般的概念と考えるのである。何となれば、一般的概念とは此のごとき場所が更に無限に深い無の場所に映されたる影像なるが故である。
  西田幾多郎 「場所」)

 

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 十六年前。

 

 奈良の町なかにたつ、東京藝術大学附属の古美術研究施設から門限を破って夜な夜な抜け出し、東大寺南大門の門下中央で、数時間をひとり過ごした。運慶、快慶らによる一対の金剛力士立像の見下ろす視線は、ちょうど門下中央部に立つ大人の頭部の位置で交わる。つまりそこから一方を見上げれば、他方から降り落ちる凝視を後ろ背で感じることになる。当時南大門の金剛力士立像には、各々の足下からスポットライトが当てられ、昼よりも陰影のコントラストが一層強烈な、猛る仁王様を楽しめた。春先だった。息が白んだのを覚えている。遠く参道の入り口からは時折、車輌のヘッドライトの放つ白光がこちらへと長く差し込んでくる。

 

 金剛力士立像、つまり仁王像が、口を開いた阿形と口を結んだ吽形の一対により構成されることはよく知られるが、実は両者はともに同一神の分化した顕現態で、いわば互いを鏡像的分身として包摂的に仏法を守護している。という筋立ては興味深く印象的で、しかし今ネットを検索しても、分化以前の執金剛神やヒンドゥー起源の那羅延と密迹をめぐる個別言及までは辿れるけれど、そこから先が見当たらない。日本語文脈に関してネット検索で見つからないと詰む点は、目下タイ暮らしへかかる大きな負荷のひとつとなっている。
 ともあれ分化により相互生成的に一方が他方へと作用し作用された結果として、部分の総和はしばしばその総体を乗り越える。この分化と相互感応こそ真相と模倣、道具と素材、生産者と受容者などあらゆる相関性へと及ぶ、文化創造の基本原理だ。

 
 たとえば一生懸命に断崖を攀ずる場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き、全く知覚の連続といってよい。(略)これらの精神現象においては、知覚が厳密なる統一と連絡とを保ち、意識が一より他に転ずるも、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起しその間に思惟を入れるべき少しの亀裂もない。
  西田幾多郎善の研究」)

 

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 飛鳥奈良の仏像彫刻は、私見ながら身体表現の面においてエネルギーの内向をその最大の強みとする。止利仏師による法隆寺金堂釈迦三尊における両脇侍像はこの観点、内へ向かうエネルギーの集中と充溢の点で日本彫刻史上屈指の傑作で、そこから彫刻技法のムーヴメントは力の均衡へと一旦向かって平安の定朝様式により純然たる平衡へと至り、鎌倉慶派の沸騰を準備した。この意味で運慶は定朝の分身であり、定朝は鞍作止利の分身で、円成寺大日如来坐像も東大寺南大門金剛力士像も運慶らとの相互生成を遂げた、ともに並行する異系の顕現態だと言える。

 

 《運慶展》の会場では、日本仏教彫刻史における仏師の系譜を系統図として描くパネルが展示され、複数組の観客がそれを血縁図と誤解のうえ織りなす会話を耳にしたが、この誤読は一面で芯を突いていて、この系統図はつまり血統よりも質実な系統樹であり、幹から枝葉への流れこそが顕現へと向かう力動の奔流そのものならばほら、あの夜見上げた仁王像の隆々たる筋肉により振り上げられ繰り出される四肢の躍動は、太古からの反響を伴い風に戦ぐ巨樹の枝葉そのものだ。その四眼凝視の集中点に立つ己もまた、この個にどれほど執着しようと何某かの分身に他ならず、ならばその揺らぎ戦ぎを敢えて拒む意味もない。暗闇に気配を感じ、耳を澄ませる。繁みの揺らぎ、幽かな擦過音。金剛力士との対峙から意識を反らせ、音のするほうへ目線を傾ける。南大門から現代の奈良市街へと伸びる参道の石畳に、一匹の鹿が歩みでていた。華奢な鹿の影姿がふと首を伸ばし、まっすぐにこちらを見据える。
 この一瞬。

 

 

 動物はなお対象界を持たない。真に行為的直観的に働くということはない。動物にはいまだポイエシスということはない。作られたものが作るものを離れない、作られたものが作るものを作るということがない、故に作られたものから作るものへではない。それは生物的身体的形成たるに過ぎない。しかるにモナド的に自己が世界を映すことが逆に世界のペルスペクティーフの一観点であるという人間に至っては、行為的直観的に客観界において物を見ることから働く、いわば自己を外に見ることから働く。作られたものが作るものを作る、作られたものから作るものへである。
 (略)
 しかしかかる個物と世界との関係は、結局ライプニッツの云うごとく表出即表現の世界ということの外にない。モナドが世界を映すとともにペルスペクティーフの一観点である。かかる世界は多と一との絶対矛盾的自己同一として、逆に一つの世界が無数に自己自身を表現するということができる。
  西田幾多郎 「絶対矛盾的自己同一」)
 

 

 

時さへ

https://www.instagram.com/p/BcmWar2AGFB/

 

 
保育園児をしていたころ、7と11の英語表現を覚えたのはひまわり保育園へ通う途上にあったセブンイレブンが、文字通り朝7時に開き夜11時に閉まっていたからだった。たぶんコンビニがコンビニと呼ばれ出したそのころ店頭ではまだマントゥを売ってなかったし、というかタイのセブンイレブンでは今もまだ売っていない。けれど月餅に慣れた華僑成分の濃いバンコクのほうが東京よりアンマンにはだいぶ近しく、つまり早晩売り出すのは目に見えている。日本でいうナチュラルローソンみたいな差別化をタイのコンビニも昨今始めだしているけれど、そこで働く蕩尽への欲望回路に目がいくのはバンコク暮らしそのものが相対視の対象だからで、その幾重にも折り嵩なった心中における諸権勢の合従連衡こそ煩わしくも感じられ、そういうものはCivilization Vのカウント4000を超えた総プレイ時間へ外注し目を背けきたる老後にそなえたい。むろんアンマンはCiv5にも登場するがアンマンにセブンイレブンはたぶんなく、あっても特製豚まんは売れないむろん。

 

「酒とタバコ」の看板も見慣れた時点でその存在すら看過されゆくけれど、smoke kills humanな表記が法的に義務化され昼と夕刻以外は酒を買えない国から戻ってくるたび恒常性による知覚看過のシステムに揺らぎは生じ、次いでキヨスク大麻を売る北海の街を染める夕暮れの寒々しさや、車曳きがハシシと女を商う南洋の裏町をくるむ湿り気など肌身へよみがえるに及び、ケッタイな世をさも何事もなく馬車馬のごとく日々を疾走する人々の淀みなき運行に星々の数十億年が凝縮し反映される奇蹟と退屈とをただ観察する脳漿が想像的にいま観察されている。コンセントレイトされリフレクトをくり返す果てにあなたは単にあなたを更新し、わたしは単にわたしシステムを塗り替えるため塗り替える。根の先から吸い上げられたH2Oが茎を伝い葉の先でO2を放出するように、視界の先で夢や希望とか期待や予期とは無縁の連関結合を視線はくり返し、Facebookの通知音も日本海対岸からのミサイル着弾アラートも天の河対岸での超新星爆発も等価に生起退行し明滅し、観察され反映される。

 

https://www.instagram.com/p/BaLof28hBea/

 
敢えて弱さを選ぶとして、それは君の得意技だけれど本当は君自身がすっかり飽きていて、その面白みに欠け内実の薄い安逸と引き換えに放棄する環世界はしかしなにもしてこない。そこに請求書は発生しない。トレードオフは端から生じずすべては白けたとえ何万人を虐殺しようと一人相撲をするのと大差ない。地球はもう夜11時に終わらない。

 

雨滴は地に墜ち、下水を伝い海原から宙空へ還り降り注ぐ。そこに取引は存在しない。くり返され、くり返されることで明かされる。明かされるべく土のまわりを日はまわり続々と保育し培養され、看板は日に照り返され色褪せて、この心臓は朽ちるまで24時間出納を営みつづける気配だし、この存立条件はただ君がどこかで息していることそれだけだしそれでいい。そのほかは存在のあまねく宇宙の頽落態であり、あってもいいしあることは必然かもしれないけれどそれだけだ。なにかがあるから君がいるのでは決してない。君がいるからすべてはある。おめでとう。時は流石ね。
 

 

 

 

蠱毒

https://www.instagram.com/p/BZxoF03g3XA/

 

 

雨上がり、夜更け。誰かの口笛。ゴミ収集車の作業音。路面に吸い殻。暗がりに猫。


孤独はなかなかの贅沢品で、死んだらもう味わえない。それを言うなら何でもそうだろという種のツッコミは大抵正論だけれど寒々しく、ひとはいつどの瞬間にも部分的には死んでいて、一日の大半を死につづけていてほんの束の間生きる時がある、というこの時にしか味わえないものとして孤独はある。ハチ公前交差点なり、タイムズスクエアのY字路なりをしばらく観察してみればいい。そこに揺らめき流れるあらゆる人間は、電光掲示とスマホ画面に照らし出された半死半生のゾンビだろう。そこで孤独を手にする者は鮮烈だろう。

 

みんな幸せになりたいものと、子供の頃は思っていた。「ひとはみな幸せになるべきです」から始まる文章を、十代の終わりに三ヶ月かけ書きあげたあと、上野の森を一時の棲み処と定めた。結局そのような「みんな」が各人の内で都合よく練りあげられた空集合に過ぎないことは、二十代を通じて確認できた数少ない事実の一つになった。気づけば幸せになりたかった彼は一個の他者と化し霞に覆われ、それはある意味狡猾に己の願望を成し遂げた成果なのだと彼は考える。根元の土は膝丈まで盛り上がっている。つま先が温度を失ってゆくのがわかる。鏡を欲望しないふてぶてしさも、鏡なしには捉えきれない。この両掌に溢れる体液。その体温の、震える流れの、底に嗅ぎとる。そこへ象る。墜ちていく。

 

呪縛に身悶え、抑圧に享楽する身勝手もいまならできるし、この自分だけのものとして個の痛覚を蕩尽できる贅沢を、昔は予期すらしていなかった。時間というのはほんとうに途方もなくて、心はつねに過去と未来を行き来して今を捉えることがない。囚われることがない。気づけばそこにはいつからか木が立っている。泉が戦ぐ梢を映し揺れている。新宿駅改札で、グランドセントラルの地下道で、決壊した隘路をなぞる。木はすべてを見下ろしている。雑踏にあって、一瞬灯りの消えた静けさのなかこちらを眼差すあなたの瞳、その光、その震え。十字を過ぎ双塔は崩れていく。ひび割れた木肌の感触。決壊させた。破壊されたその奥底へと。降りていく。

 

数ヶ月、誰とも口をきかなかったことがある。たぶん何度もある。呪いは福音そのもので、誰にも等しく時は流れてなどいない。そうして記憶の欠けた数年を過ごしたあと襲い来たのは本能的で逃げ場のない、凄まじく巨大な恐怖の塊だった。グラウンドゼロの永久凍土。自分がいて初めてなりたつ最たるもの。その幽かな温もりを、その疼痛を好きなだけ独り占めすればいい。存分に味わって死ね。街路は死ぬたび、延びてゆく。
 

 

 

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心臓

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心臓は律動する。人間はあらかじめ音楽を奏でる生き物で、演奏をやめるときぼくらは人でない何かになる。鼓動、脈動、息を吸い、息を吐く。音楽を聴くとはだから、まず耳を澄ませ、沈黙を聴くことから始まる。眠り、起き、歩き、止まる。器官の律動、呼吸の旋律。沈黙はそれだけでは存在しない。深夜の交差点で、朝焼けに染まるビルの屋上で、聴きとることでそれは生じる。

 

タイやミャンマーの僧侶は戒律により、歌舞音曲を禁じられている。これは一時出家のあいだも含めタイのお寺へ滞在するたびよく考えたのだけれど、言葉尻でいう通り一遍の禁止などでなく、むしろ本物を奏でるために何が大事かを戒律は教えている。人間はあらかじめ音楽を生きている。そのうえいたずらに旋律や律動を加えることなかれ。耳を澄ませ。殊更に音を重ねることなかれ。聴きとれ。その脈動を。その拍動を。それは記憶の古層をたやすく突き抜け自然の摂理へ同期して、眼前に太古と未来とを呼び起こして沈黙する。ただ聴きとれ。

 

目の前で進む日常は渾沌として猥雑で、心に生じる混乱や不安に対し面と向かって怯えるのは嫌だからその瞬間瞬間に自分をだます言い訳ばかりが巧くなってきょう一日をぼくはまた死んでいくけれど、いま進行する事態や事象を名付けることでとりあえず安心する、みたいな心の機制ってありますよね。社会現象とか症例とか、名前が付いたところで変わる現実は何もなくても心のなかの現実が安定すればそれでいいという。けれど名指しの先から始まる思考や感情をこちらが大事にしているときに、相手は同じ名指しによってそのように心を定めてしまうと、そこに生じる時空の歪みは手のつけられないものになる。そうしてあなたは遠のいていく。それは仕方のないことで追いかけないし期待しない。踏み留まって目をつむり耳を澄ませ遠くで今、響きだした音を逃すな。さいごに止まり眠るときは遅かれ早かれ来るのだし、届く見込みがないとしても行けるところまで行くしかないし。

 

君は気配を消すのが巧いから。はるか西方の異国の海をわたる橋の上で、かつて師事したある人にそう言われたことがある。当時はよくわからなかったけれどヒトは社会的動物で、その場その場の関係性から暗黙のうち生じる役割をみな無意識に演じるもので、君もまた器用に演技をこなす凡人のひとりだけれど周りの誰も気づかないうちそれをサボる狡さがある、ということをたぶん彼女は言っていた。狡さといえばひとつの技能で売りになるかもしれないけれど、意図して行えないから実際には単なる天然で、天然だとしてあるいはそう自分をだましているとして、それがこの個体の奏でる律動であるかぎりあとしばらくはそうして生きられる。生きられる時の沈黙がここに生じる。

 

電燈と信号の赤や青に照らされる夜明け前の路面をそうして、立ったまま眺めていた。ふと気づいて顔を上げると藍の空は薄く白みだしていて、帰ってから3時間半眠って起きてこの文章を書きはじめ、もうすこししたら家を出る。半分も飲んでいないカップのコーヒーはすでに冷めきっていて、数十分前には透明に沸騰していたはずのこれら水分子たちのつくる黒い界面に照り返す部屋のランプの灯りとカーテン模様をこの網膜が映しだし、この視覚野が再構成してお前の世界はこうだと知らせるいつからか、それらの生起退行し連環する音の連なりを聴いている。機会があればいつかまた、一緒に耳を澄ませましょう。


 

  

どうでもよくない。

 


男の腕時計の魔力、みたいな広告記事が目に飛び込んできて、機械フェチ心性はあるのでほぉほぉと眺めていたら、タイ上司と日本上司が腕時計談義をしている数年前の光景がよみがえってきて、ああそうなのかと納得した。当時その光景をみてなんかダセェと思ったのは、数十万円からのそれら高級時計を揃えることの、経済価値に換算された自己評価への期待からなるマウンティングへの欲望がどうにも丸出しで、酔いしれている風なのに時計が個々にもつ履歴とかフォルムへの感性練磨の形跡が、語ることばたちから正直伝わってこない。そこが好めなかった。

 

時計、ね。時を計るもの。

 

ところでふだんのぼくは破れたズボンを履き、穴の空いたカバンを背負って仕事へ出かけるのがバンコクでも東京でも常態になっていて、「もういい歳なんだからみすぼらしい恰好はやめなさい」みたいな助言やお叱りも頂戴するのだけれど、こういうモードになったのは実を言えばタイ移住以降のことで、つまりこの何年かの話になる。たとえば藝大学生時や某消費者金融で働いていた頃はいつもクルタとかインドやらチベットやらで買った服を着ていて、その予兆もあった男子中~男子高時代はよく婦人服売り場を漁っていた。ウエストが細すぎて紳士服ではサイズがなく、子供服では袖の長さや腿の太さが足りないのに比べ、女性服はデザインがまず豊富で選ぶ楽しみがありサイズ的にも最適だった。
ちなみに連れの級友男子の幾人かが、婦人服売り場にだけは一緒に入ってくれなかったのが当時は不可解だったけれど、いま思えば男の園に適応しガールフレンドもいない童貞の反応としてそれは当然だったのかもしれない。

 

だから最近知り合ったひとのほとんどからは、ぼくは服に興味がないというか、基本ダサい感じの男に思われているはずだけれど、実は一着を買うため何日もかけ街から街へさまよう時期や、テレ東でやってたパリコレ実況番組を録画し関連雑誌にあたりモードチェックに余念のない時期すらあり、もはや自分で作るほうが早いのではと服飾の教室へ通う時代があって、今日がある。こう書いていて自分でも意外すぎるから、たぶん周囲の誰もが驚くだろうけれどこれは事実で、ではなぜ今はこんな風になっちゃったのか。というのも今着ている服は、下着や肌着やTシャツの類を除けばほとんどが十年選手で、趣味が十年前と変わらないというよりは、そこには選択の営みが介在しない。社会性の欠如も甚だしい。

 

これは服だけでなく例えばヘアスタイルにも言えて、という前にそもヘアとは何か。という域に達した屈託を抱えることだけは、実際会えば即座に納得してもらえるスタイルで、一時出家がどうのタイ移住がどうのと勝手に思い込まれていたりもするけれど、興味がないのでこちらから訂正することもとくにない。
というか一度そう考えてみるとあれれ不思議と、住環境も仕事もすべてがそのようなフレームで捉えなおせるかもしれないと気づきだす。気づいちゃう。どうしてこうなった。いつのまに。

 

 

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好きな子にもらった赤い腕時計を、ずっとつけていた。たぶん、中2か中3くらいから。極小の時計盤には、数字のかわりに色とりどりの国旗が並んでた。何年もつけていて、その子と会わなくなった十代の終わりに、赤い革のバンドがちぎれた。そのあとはもう、時間を確認するため手首を見る習慣はなくなった。

 《どうでもいい》は、《どうでもよくない》なしには成立しない。

 

「型なし」の自由も、「型」なしではあり得ない。それが人間を生きるということで、だから各々が描いてきた履歴とフォルムの教える指標に照らして、彼ら上司たちは実直すぎるほど実直に、真っ当に生きているからその姿を見て、ダサいとぼくはきっと感じた。のだとすれば、それはどうにもわかりやすい話になる。ダセェダセェと粋がっている人間の放つダサさは切ないほどで、言うまでもなく粋からはほど遠い。息してあるこの時間をただ充たすこと。生きられるその連なりの先で、ともにあること。
ことばにするとなんだかとても、シンプルだけれど。

 

時は経るもの。心は過去のもの。

 

 

 

すわるたつ

 

 『実践!! 瞑想の学校』 刊行記念講演会
 藤田一照師×プラユキ・ナラテボー師 対談 @神保町101ビル

 

 

 昨春、始発で葉山のご自宅まで出かけ参加した一照師(曹洞宗)の坐禅会は、坐るまでの過程こそ本番とでもいうような独特のもので、日常感覚の異化という点で他になく得がたい経験をさせてもらった。

 

 プラユキ師のスカトー寺(タイ東北部)滞在は、バンコク移住後のめくるめくタイ生活のなかでもハイライトの一つとなっている。

 

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 このお二人の対談とあっては、お話の中身に関わらず行く価値アリとせざるを得ない。とはいえ交わされるお話の内容そのものは、期待の主な対象から外れていた、と書けば傍目には失礼な物言いに映るのかもしれない。けれど正直なところそこで何が話されるにしろ、主観的に受けとるメッセージが《実践こそ肝要》以外の何かになるとは思えなかったし、具体的な水準では何が話されるのか、あまりにも予想がつかなかった。
 ともあれこのお二人は、ぼくの知る仏教僧のなかでは飛び抜けてロジカルかつプラクティカルな言葉をもつかたで、抹香臭い話に終わらないことだけはハッキリしていた。

 

 この意味では、ご両人がただ向き合って黙っているだけの二時間だったとしても、ぼくとしては極上の場に立ち会える経験となったろう。むしろただ見つめ合っているだけの夜になったらたまらない。ああ自分は行為に加担せず、壁チラのみでひたすら萌えるというBL心性の一典型ってこれなのかと、無闇に合点がいった。無明である。もちろんそうはならなかったざんねん。いや。

 というわけで、できるだけご両人のお顔を終始目に入れていたかったので、満員の会場の隅で一人だけずっと立って聴いていた。午前2時起きの日の夜イベントだったので、椅子に座ったら舟を漕ぎ出す自信に満ちていたというのもある。
 坐らない試みの夜、わるくなかった。


 
 脊髄模型を用いた解剖学的講義や、野口体操の実践という理論的基底のもと皆で体をゆらゆらさせる一照師の坐禅会は、いつまでも坐らないにもかかわらず頭ではなく全身で語りの骨子を納得させられる不思議なものだ。それは神保町に建つオフィスビル内の会議室で催された対談企画でさえ一貫されていて、まず参加者同士のアイスブレーキングから始まった。講演会なのに解凍しちゃうのだ。このあたり、地味にカリフォルニアン・イデオロギーも入っているのが感じられ興味深い。

 マインドフルネス流行の震源である米西海岸文化の思想的根幹に東海岸Ivy Leagueの余韻があり、17年の滞米経験(マサチューセッツ州ヴァレー禅堂)をもつ一照師の語り口にこの余韻が響くことは、彼を他の禅僧と大きく分けている。というあたりはどのていど一照フォロワーのあいだでは共有されているのだろう、など思ったり。

  
 不思議といえば、タイと日本を行き来する時間のなかつくづく不思議に感じることのひとつに、三拝への違和感がある。
 タイのお寺では仏法僧に三拝する。これは肘と額を床につける深い礼拝をくり返す営みで、タイでは問題なくごく自然にできる。しかしたとえば日本人たちに囲まれた東京のタイ式のお寺では、正直いって不自然さしか感じない。礼儀として行うにしろ、違和感は拭いがたい。

 こうして日本語をつかう思考そのものが、属す社会の反映の一形態であるように、所作や仕草もまた周囲の環境や環境にかたちづくられた文化の引きずる文脈に影響され、無自覚のうちに「わたし」の方向性を規定する。坐禅の根幹にお仕着せの日常性からの一時離脱、習慣性の解除がまずあるとするなら、意識のうちで決断的に坐るだけでは足りないのだ、という一照師の指導はだから、プラユキ師の手動瞑想(チャルン・サティー, Dynamic Meditation)とこの無自覚的思考をめぐる圏域で共鳴する。要は意識外の海原に浮遊する《気づき》の機縁にどう呼びかけ、どう導くかという大系。

 

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 いつまでも対談の中身に入らないのは、講演の内容は単行本化されるからネットなどであまり触れないでくれ、とその日の終わり主催のかたから念を押されたからで、だから言わない。いちばんたいせつなことは目に見えない。きらきら。

 とはいえ少しだけ。その場でなされた板書は、プラユキ師の方法論的語りを一照師が脊髄反射的に要点整理したもので、文字化されてみればもっぱら仏教用語により腑分けされたそれらは換骨奪胎され切って、たとえば英語に逐語訳されても明解に通用しそうなあたりがこのお二人のアンサンブルならでは、といったところかな。

 それから慈悲の瞑想をめぐる一照師の屈託は、ご自身の発話する言葉に対する繊細さと鋭さが感じられて良い一幕だった。「効果があるからやるべきとは言えない」というそれをぼくの理解可能な範囲まで堕として言うならたぶん、この不完全な自己から放たれる綺麗すぎる言葉の群れが必然的にもたらすデモーニッシュな暗がりへの看過のことを言っている。そしてこの卓見の端源が、もし一照師による身体を通した全体性の調律への探求と関わりがあるならそれはとても興味の惹かれることで、関わりはたぶんある。


 ところですでに大入りだった会議室に入って、初めに目が合ったのは最後部で待機するプラユキ師で、挨拶しに近づくと開口一番「よくきた」とおっしゃったのが内心によく響いた。

 よく響いたのは、このとき空耳された「よく生きた」と本来の「よくきた」の孕む距離と時間をめぐる意味性が互いを刺激し、再帰的に聴覚野で増幅され反響し合ったゆえであり、月が二つある世界のことを十代のある時期よく絵に描いたことをふと先日ふと思い出したのだけれどこの場合、緑の月はご両人のどちらで赤い月はどちらかなどと思考軸の複数展開される白昼夢をこの一瞬に体験したからでもあり、このように東京滞在は以前と比べどこか夢のように時が過ぎるようになっている。
 もちろんこれが夢だとて、なにか問題があるとも思えない。
 

 


イベント公式HP:

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