空みたこと花

冬と乾季はじめました

Dog saves.

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 なにもなくて、すこしおどろく。けさは。

 晴れきってもいない。脳漿がうけている、後方への引力に、想念が巻き込まれていく。ことばがからめとられていく、のを感覚する。

 様態としての個にとりつく縞も、ここでは遠のく。ただ、そういうものとして作動する指先の、かすかな抑圧。電子の記号へと変換される弱い力動の、十の光脈。二重の圧力。小雨を降らせる曇天の、あるいは空。

 

 

 娘、が水中へ落ちる危険、を回避するため、服を引っぱる。次。娘の安全を確保し、娘が水辺へ向かった目的を確認する。テニスボール。次。水中へ走り、拾いあげ、戻る。

 これらすべての段階を、順に為し遂げている、ように見える。ヒト言語を介さないロジカル思考、の可能性に想いを馳せる。ところが。


 虚脱感におそわれる、ことができる。底なしの孤独にとらわれる、ことができる。ということは案外、大事な資産でもある。

 なぜならそれらは、本来そこにあるべきでないものではなく、それらから目を背けた日常を仮構することこそは、人格が人格として機能する初発の条件であるからだ。世界を仮構することなしに、人は寸刻たりとも生きられない。内なる意識と外なる世界を照らし合わせ、己のコードに取り込むことで現実は時々生成され、刻々と損なわれる。失われる。

 失われる。忘れがちだけれど、忘れた瞬間、そこにはのっぺりとして平板な「社会」が生まれる。虚無も痛みもむやみに緩和された、ふわふわとした幸福、のようなものへの期待と予感、への着床。綿胞子のように舞い降り、触肢をひろげ、根をおろす。わたしがそこに、仮構される。
 それだけの、ことばの連続。

 陸地なき世界にしか、岸辺を持たず神さながらに無限定な最高の真理が宿らぬ以上、風下の岸に打ちつけられる恥辱よりは、荒れ狂う無限界に果てるほうがましだ。

 からめとられてゆく。一瞬で。けれどそうして刻まれるときは、単に慣れているというだけの、何の根拠もなくとくに守りたいものでもないはずの、つまりは反映された仮構にすぎない。

 

 よくみると、娘の目指す方向と、フレーム外から現れるボールの位置は関係がない。ボールは川面の波を切り、岸の石に対し静止している。流れていない。よくみる。はじめ犬は、娘を見ていない。

 犬が見あげる方角で、ボールを置いた誰かが合図する。想像する。反映し合う世界。


 それはもうどうしようもなく、変わりゆく。とどまることもまた変化の一つでしかなく、とどまる流れそのものがあたりを変えていく。この瞬間、ここにいるもの。7秒前、ここにいたもの。

 ときにより、渦は位置や大きさを変えていく。水面に生じる描線の一つ一つは、網膜へ瞬時に固定され、瞬時に死んでいく。この光景が網膜へ映りでるそれであるように、あたりの流れが生起させる渦としてここはある。

 死んだことばを積み上げる必然を、実のところ君はもたない。もつと感覚する瞬間があるとして、それはまた瞬時に姿を変える流れの一縷だ。ときを生かす、だけしかない。


 
 

大晦日の心地

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 ラジオと昭和天皇といえば、あのひび割れた玉音放送が流れた日の抜けるような青空とか、煤けた国民服を着た老人やもんぺを履いた婦人の正座して肩を震わせる後ろ姿を脳裡に想い浮かべるひとは、きっと今なお多いだろう。言うまでもなくこのときその記憶の有無は、その日すでに生まれていたか否かをまるで問わない。

 

 ラジオと昭和天皇、の語の並びからもう一つ、個人的に呼び起こされる記憶がある。それは白々とした真冬の空気に包みこまれた1989年1月7日の朝であり、開店準備中のそば屋の薄く湯気が漏れだすアルミサッシの窓越しに、3段ギアのついた深緑色の自転車のサドルに座ってそのラジオ放送を路上から聴いていた。いまはチェーン店の看板ばかりが並ぶ商店街のただなかで、その時間帯はどこも開店前で人はおらず信号もない道をいつも駆け抜けていたはずなのに、その窓のアルミサッシの白銀色を静止画像として明瞭に覚えている。流れてくるアナウンサーの声色に、いつもの交通情報や天気予報などとは異なる緊迫感を聴きとって、漕ぐ足を止めざるを得なかったのだとおもう。
 片足を地につけて、しばらくその伝えるところを理解しようと努めるあいだ、ペダルに置いたままのもう片方の足の膝頭は暗い藍色で、デニム地にも思えるけれどその視覚記憶は、半ばぼやけているから後補の偽物かもしれない。

 

 

 「玉音放送の流れた時間」は、たとえば2011年3月11日や2001年9月11日よりもはるかに今日の「日本人」そのものを画定する。だからその8月の正午から数十年のちに生まれた人間にも、その記憶は高い精度で刷り込まれる。やや大げさに言えばそうして現代日本語を構成する必須要素とさえ呼べるかもしれないあの時間に比べ、ならば今日はどうだろうと考える。2019年4月30日の記憶はおそらく、そのようには日本人を構成しない。クリスマスを祝う日本の都市の派手派手しい光景を前にして、それが大正天皇の命日であることを想起する者は稀だろう。崩御を伴わない「時代の終わり」は一般に何世紀ぶりかも知られることなく、文字通りに時代感覚をも交換可能な記号にも近くフラットな、平板なものへと成就させる。
 漸うにして、平らかに成ったのだ。

 

 それゆえ1989年1月7日の記憶もまた日本人の記憶ではなく、ぼくの記憶だ。と考える。個人の記憶にすぎないから、たとえば英語での想起を試みても齟齬は起きない。玉音の記憶は英語にならない。
 その日、今井先生はあきらかにうろたえていた。教室にやってきたはじめから調子が重く、目線はいつもより中空を泳いでいた。きょうは気をつけて帰ってくれ。しばらく何が起こるか、大人にもわからない。今井先生のそういうつぶやきに、ついさっきそば屋で耳にしたラジオ音声の緊迫度をきっとこの耳は重ねていただろう。「大人の世界」の完璧さは、そのように崩れだしたのだと今はおもえる。86年春のある曇り空のもと、降り注いだ小雨を恐れる大人たち。延々と犠牲者名を並べ続ける、85年夏のテレビ画面。チェルノブイリ御巣鷹山はそのような調子はずれの連環のうちに特異点を形成し、言分け上の結節点となって場としての脳の裡へと埋め込まれる。思考や意識はこの裡に映しだされる像であり、像はその映りでる地の画域を感覚せず認識できない。

 


 

 今井先生は、塾の国語の先生だった。当時小学校の担任は津田という暴力教師で、この男の授業は醜悪で聞くに耐えずしかし美術音楽以外はすべて津田の担任だったから、この時期学校の授業は眼前する現象へ等閑符を打つ果てしなき修行となった。ところが塾の講師たちは今考えれば皆まだ20代だったろうけれど各々に個性的で、どの科目も話が面白かったのは僥倖だった。受験戦争に勝ち抜くというような抑圧はまるで感じず、学力別で一番下のクラスに入ってただ面白いから頭を巡らせ問題を解き進めるうち、あれよあれよと二十ほどに分かれたクラスの一番上まで順に上げられ、やがて隣の市の選抜クラスに通わされ、週末には全国上位の子が集まる東京の教室まで遠征させられた。学区が町内会の広さしかない小学校の子どもの常識では電車に乗ることさえ非日常の冒険で、そのようにして出かける都心の光景は完全にドラクエやFF、ゼルダの伝説における「あたらしいまち」として展開された。その後の歳月のなかで様相と温度を都度都度一変させてきた池袋や御茶ノ水の街なかに、当時と変わらない姿でサンシャインやニコライ堂が今も建つことは、だからどうにもやや不自然に感じられる。

 

 藝大の学部から大学院へと上がる頃、中学高校時代に通りつづけたJR池袋駅の南口地下改札を出たあたりを、たまたま当時の恋人と歩いていたら、今井先生らしき人影とすれ違った。ハッと気づいて雑踏のなか追いかけると、その人影はやはり今井先生だった。名乗って塾に通ったことを伝えるとすぐに憶いだしてくれたけれど、先生のほうがきっと驚いたろうと思う。なにしろおかっぱ頭の小学生だった子供が突如、20代半ばの容姿をまとい目前に現れたのだ。先にも書いたが受験戦争を意識できず緊張感に欠けた子どもだったため、受験日直前には相対的に成績が落ちていて、ラストスパートに入った他の子とは真逆に同じペースでゲームもすれば学校の友達とも遊ぶ「ダメ」な生徒だった。そういう子はたぶん記憶にも残りやすかったろうし、最上位時に設定された第一志望校には落ちると思われていたはずだ。そもそも、学校の友達はほとんどが同じ公立中学へ通えるのだ。それを羨ましく思う気持ちは決して小さくなかったから、落ちれば親はがっかりしたろうが、自分的に問題は何もなかった。

 


 

 こうした緊張感の欠落という点では藝大受験時も変わらず、デッサン試験の当日朝にぼんやりしメガネを尻で踏み破壊した。では生来プレッシャーと縁のない人間かといえばそれも違って、抑圧をかけていくポイントでは自滅寸前まで己を押し潰していくために、おそらく現実的に幾度か死にかけてきた。この数年で明確に自覚されたのは、要するに真性のマゾで変態なのだということで、変態だから力むポイントが健常者とは自ずとズレるし、マゾだからいったん死線を超えないことには満足さえ感じられない。

 十数年ぶりに今井先生と会った際には握手して別れたけれど、その握手はやけに力が入っていて、先生の体温をしっかり感じた。奥様らしき人を連れていて、そうかあの先生たちのあの日々にもまた私生活はあり、人生を生きる過程の一つだったのだなと、初めて思った。塾に通っていた時分のぼくにとって、大人は完璧であらかじめ完成されている以上、過程など想定不要だったのだ。

 同じ頃、実家近くで暴力教師の津田ともすれ違ったことがある。小学生時にくらべその体躯は圧倒的に縮んで映り、彼が教室で撒き散らしていた恐怖のちっぽけさに初めて気づいて一瞬目まいに襲われた。声をかける気にはならなかったし、今なら殴り返せるなと思ったけれどそれ以上には感情を費やす価値も感じなかった。

 

  タイ王国プミポン先王崩御当時の、昭和天皇崩御をめぐる想起ツイート:

  https://twitter.com/pherim/status/785502037093986306

 

 昭和天皇崩御からしばらくして、葬儀に関連する国民の祭日が設定された。平日が休みとなり、学校の友だち幾人かと連れだって、人も疎らなサンシャイン・シティへ出かけたのを覚えている。それが遊園地でも映画館でもなく池袋だった理由はもう定かでないのだけれど、切符の買い方すらおぼつかない友人たちを率い都内へと連れて行けること自体が誇らしかったし、一緒に行ったグループのひとりである稲葉くんが、とても楽しそうに笑っていたのを覚えている。稲葉くんは学年で一番足が早かったけれどそれを鼻にかけることのない物静かな子で、仲の良い双子の妹がいて、この兄妹の醸す落ち着いた独特の雰囲気がとても好きだった。

 

 昭和天皇葬儀の日に、戦争犯罪の容疑をかけられた者らの怨念積もる巣鴨プリズン跡地で遊ぶ子どもというのは世の末感にもほどがある。本来は人で溢れるべき設計の巨大な内部空間はあまりにも閑散としており、かつ買い物に興じる能力も乏しかったため立体型鬼ごっこの凶行に及んだのをいま思いだしたが、そもこの文章を書き始めるまで、今井先生や稲葉くんの記憶がきょう蘇るとは思ってもいなかったし、こういう流れになるとも思っていなかった。

 稲葉兄妹に対する「とても好き」は、恋愛感情とか濃い友情を欲するそれとも異なる「好き」で、そこからいま唐突に想い起こされたのは、大改装の前も後もなぜか東博東洋館1階展示室右壁に固定展示されているクシャーナ朝石仏の鋭い彫り込みが生む温和な面影だ。その曲線美はまぎれもなく極上のエロスをともなうけれど勃起を誘うそれではなく、無音の行間こそに意味を読み取らせるような今井先生の語り口にも通じる、事象の一回性がもつありえなさを感得させる。それらが現前するうちはあまりにもありふれて感じられ、その唯一性に気づくことは稀なのだが、目前から失われ初めてそのありがたさが感覚される。次の一行に何が現象するのかわからない、というこの不可知性はだから、通り過ぎるまでそのありえなさに気づけないこれら事象の由来を映し返すうえでは大切な、経験の本質に触れようとする態度そのものへと直結する。わかってはならないのだ。たやすくは。

 

 

 昨晩、夢に初めて今上天皇が登場された。教室の壇上で、語る順序を違えたことをあの丁寧きわまる口調で謝りだした彼としばらく視線が合った。皇叔父にあたる三笠宮エジプト考古学講義は藝大生のころ幾度か受講したことがあり、恩賜上野公園を訪れた皇太子とは目を合わせたことがあるから、この夢もまた実体験と脳裡の編みだす表現物とは言えるのだろう。そういえば半月ほど前、ある同い歳のタイ人女性監督について書きあぐねていたら彼女の撮った不可思議な映画のうちにいる夢をみて、覚醒後には不思議にスッと筆が走った。Suppressionの字面通りに抑圧され押し出される力がこれらの文字を編む点で、この文章の羅列もまた夢から連なる一過程であるのだろうし、そのようにして現に映し返されるものをできるかぎり精確に映し返していくことは、この自分が欲動的ないし社会的に整形する事どもにもまして、これら現象そのものの本覚なのだと直観される。

 

  

 

 

3月11日

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 時間の浪費をしてしまったなと感じるときは、浪費ではない価値ある時間の過ごしかたが何かしら前提されていて、けれどこの何かしらは時と場合と人により具体像がまるで異なる。ではこの自分の場合いまそれは何なのかといって、関係性の編み目由来の皺曲をドラマとして生きることへ価値を感じ抜けないのも明白だから、編み目の象る日常に派生する余暇の趣味とか交際の喜怒哀楽に時を費やすことへの虚しさは当然ながら拭いきれない。それらは目的的に為されるかぎりで許容されうる二義的な所作でしかなく、ならばその目的となり一義となる在りかたはと言って、本当のところこれは昔からわかりきったこととして、この棲み処の現前以外にない。

 

 現前のために、感覚する。認識する。記し表す。表現はこのときこの私に基づく造作とは大凡無縁に残される痕跡を指している。描かれる線は光であり音であり、形であり温度でありうる、この棲み処である。この思考は視野を遮る枝を振り払い、丘陵や岬の先を見透すための機能であり、この身体は適度に浸透圧が保たれ漸く働く感覚器であって、これらを維持する営みにより初めてこの棲み処を生きられる。

 地塊に殴られ、8年経った。

 

 

おくれる

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 さてなにを書こう、と思って瞬時に想起されたのが、15歳前後のころアトピーがひどくなって行った京橋の東洋医の「きみは気塞がりなんだよ」というひと言で、首筋のリンパのあたりで気が詰まる、みたいに指先を首へ当て老医師は説明してくれた。これをその場で「気詰まり」と読みかえたことから深く納得し感心もしたのだけれど、それと常々自覚される発語の「遅れ」には通底するものがある、と感じられる今朝。

 この自分、という閉鎖系のくくりでいくら発想したところで、まず身体が皮膚呼吸や感覚把握によりその全体で外気外界と連なっていて、ゆえに心身症的徴候を「身体」なり「精神」なりのいずれかに帰して済ませる態度はしばしば空疎な理屈へ嵌まりこむ。いま抱える世界認識によって了解できる枠組みへ感覚対象を落とし込めれば何かが免罪される気になるという、この外界に対する無自覚で過度のおもねりや依存が不自然な「形」を生む。自分の場合おそらく成人までのアトピーであり現存する局所的な凝りであったりするけれど、人によりそれは自傷行為であったり肥満や拒食、アルコール薬物やセックス依存であったりするのだろう。(これらの症候に苦心する人々が須らく心身症的というのではない)

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 こういう思考の連なりは、ある種のひとからみれば蒙昧さの証にしか見えないはずだが、それはそれで科学依存への無意識の不安が映す自己投影でしかない。このとき彼や彼女は自らの鏡像を見るためぼくを見る。けっきょく正論の拠って立つ社会そのものが規範的にも基盤的にも揺らぐとき、その揺れを等閑視する「いい人」たちはアテにならない。してはいけない。自分の直感こそ正義という幼児性を裏返しに抱えているのが科学信者というもので、自律的に考える言葉をもたない関係性を世間という。

 どんどん遅れる。溜まりこむ。巻き戻す、追いつく、はそれ自体がどちらもひとつの別様だ。だから字面を照らせばあらゆる瞬間、それらは逐一ファンタジーを生んでいく。巻き戻せないし、追いつけない。つまりはそういう時を生きている。という選択であれば今できる。それこそはかけがえのない恵みだな、とは素朴におもえる。感謝しつつ、為せば良いというリアルを生きてあれたらいい。鏡面にきらめく光、そこに宿る形を意志という。よく見つめ、よく映す、呼吸する。その連なりには居座らない。痕跡はふと振り返るものとしてあればいい。散歩の足あともときには描く。それはそれで発語なんだよ。とどけばいい、ね。

 

  

(※写真は今年9月インド北部チベットザンスカール・ラダックにて撮影)

運慶、鑿、円成

  

 しからば物を作るとは、如何なることであるか。物を作るとは、物と物の結合を変ずることでなければならない。大工が物を作ると云うのは、物の性質にしたがって、物と物との結合を変ずること、即ち形を変ずることでなければならない。

  西田幾多郎 「絶対矛盾的自己同一」)
 

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 十九年ぶり、ということになる。
 
 上野東博まで東下った円成寺大日如来坐像の、イマジナリーな脊柱のS字曲線によりつくられる後ろ背の窪みが孕む艶やかさを、脇から眺める。かつて奈良円成寺の多宝塔地階の暗がりで得た視覚記憶の描くS字カーヴに、それは精確に重なっている。安元二年、西暦1176年作のこの坐像にとって、たとえばこの十九年という時間はどのようなものであったろう。剥落による積層の、終わらない彫塑の尖端過程として。
 巡った寺社のなかには当時、阪神大震災の傷痕を生々しく残す場所も少なくなかった。

 
 現在を単に瞬間的として連続的直線の一点と考えるならば、現在というものはなく、したがって時というものはない。過去は現在において過ぎ去ったものでありながら未だ過ぎ去らないものであり、未来は未だ来たらざるものでありながら現在において既に現れているものであり、現在の矛盾的自己同一として過去と未来が対立し、時というものが成立するのである。
  (西田、同)

 

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 円成寺大日如来坐像は、現存する運慶最古の像で、二十代後半の作とされている。個の創作履歴初期においてその表現性はすでに至高の域へと達し、それがそのまま流派の粋であり日本彫刻史頂点の一角を形成する点に、この坐像の凄味はある。重厚な具象性を抽象美の内へ閉じ込める独特の頬の膨らみや二の腕の描く優美は、大陸風を強く残す謎多き止利仏師から定朝様を経たこの国の仏教美術が、純然たる土着展開のルートへと切り返すターニングポイントにこの像が坐すことを物語る。それはまた外来の仏教が数世紀を経てようやく真の土着化、すなわち密教的深化を遂げるタイミングとも軌を一にする。
 そうして840年間、一度も印契を解くことなく衣紋の襞を戦がせることもなく、そこへ坐しつづけている。あるいはそのようにいま、見えている。

 
 かかる物の見方は物を外に見るのではなく、物を内に見るということでなければならぬ。それは自己の外に他を見、その他が自己であるという私の所謂真の直覚と考えられるものでなければならない。自己の内に自己を見るという自覚に於て、内に見られる絶対の他と考えられるものは物ではなくして、他人という物でなければならない。而してかかる他が自己に於て見られると考えられるかぎり、それは自己でなければならない。自覚的限定の形式に於て物の人格化ということが考えられるのである。而してかかる人格的世界の内容が情意の内容と考えられるものでなければならない。
  西田幾多郎 「私と汝」)

 

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 東京国立博物館特別展《運慶》のため奈良から上京したネット上の知人と、会期の最終日夕刻品川にて待ち合わせた。彼女からバンコクに住む理由を尋ねられ、予期していなかった質問にこう即答する自分に内心すこし、驚いた。

 

 「日本語で考える生活に飽きたから」

 

 飽きたという表現が正確ではないことは、言ってすぐに気づいていた。ほんとうに触れてみたい日本語は、一度離れることなしには獲得されない。という直観。切迫感。この窮屈が幼い頃からの気詰まりによるものか、他の何某かの欲望なり不安なりの反映なのかすらわからない。ゆえにそれは必要であり、必然として踏むべき乖離の階梯、とかつて目した。もっともそこは話の流れと関係なかったし、タイである理由とは無縁の細部ゆえ敢えて訂正はしなかった。死ぬまでここに坐しつづけるか。誰から頼まれてもいないのに? 自らを縛りつづけるか。その両足で君は動けるのに?

 

 礼拝の対象である本尊仏は、本来正面からのみ崇められ畏れられる。光背すら伴う背側の造形はしたがって、当時の社会的要請からみれば基本的に不要であり無用であった。誰から頼まれてもいない。言語行為論、発話行為仮説が示唆するのは、あらゆる因果論的および目的論的解釈の両者が成り立つ言語的表象と同様、表現行為の全体が可能な二通りの解釈を有するということだ。うちひとつは情報の伝達であり、もうひとつは観念の現実化である。その瑞々しく表出された背面の曲線に、即時的「伝達」の機能は込められていない。ではいったい何のための「現実化」か。名辞がそうであるように彫像もまた成果であるのみならず、つねに導因の一形態なのだ。

 
 かくして知覚の野を何処までも深めて行けば、アリストテレスのいわゆる共通感覚 sensus communus の如きものに到達せなければならぬ。分別すると言えば、直に判断作用が考えられるのであるが、判断作用の如く感覚を離れたものではない、感覚に附着してこれを識別するのである。此の如きものを私は場所としての一般的概念と考えるのである。何となれば、一般的概念とは此のごとき場所が更に無限に深い無の場所に映されたる影像なるが故である。
  西田幾多郎 「場所」)

 

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 十六年前。

 

 奈良の町なかにたつ、東京藝術大学附属の古美術研究施設から門限を破って夜な夜な抜け出し、東大寺南大門の門下中央で、数時間をひとり過ごした。運慶、快慶らによる一対の金剛力士立像の見下ろす視線は、ちょうど門下中央部に立つ大人の頭部の位置で交わる。つまりそこから一方を見上げれば、他方から降り落ちる凝視を後ろ背で感じることになる。当時南大門の金剛力士立像には、各々の足下からスポットライトが当てられ、昼よりも陰影のコントラストが一層強烈な、猛る仁王様を楽しめた。春先だった。息が白んだのを覚えている。遠く参道の入り口からは時折、車輌のヘッドライトの放つ白光がこちらへと長く差し込んでくる。

 

 金剛力士立像、つまり仁王像が、口を開いた阿形と口を結んだ吽形の一対により構成されることはよく知られるが、実は両者はともに同一神の分化した顕現態で、いわば互いを鏡像的分身として包摂的に仏法を守護している。という筋立ては興味深く印象的で、しかし今ネットを検索しても、分化以前の執金剛神やヒンドゥー起源の那羅延と密迹をめぐる個別言及までは辿れるけれど、そこから先が見当たらない。日本語文脈に関してネット検索で見つからないと詰む点は、目下タイ暮らしへかかる大きな負荷のひとつとなっている。
 ともあれ分化により相互生成的に一方が他方へと作用し作用された結果として、部分の総和はしばしばその総体を乗り越える。この分化と相互感応こそ真相と模倣、道具と素材、生産者と受容者などあらゆる相関性へと及ぶ、文化創造の基本原理だ。

 
 たとえば一生懸命に断崖を攀ずる場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き、全く知覚の連続といってよい。(略)これらの精神現象においては、知覚が厳密なる統一と連絡とを保ち、意識が一より他に転ずるも、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起しその間に思惟を入れるべき少しの亀裂もない。
  西田幾多郎善の研究」)

 

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 飛鳥奈良の仏像彫刻は、私見ながら身体表現の面においてエネルギーの内向をその最大の強みとする。止利仏師による法隆寺金堂釈迦三尊における両脇侍像はこの観点、内へ向かうエネルギーの集中と充溢の点で日本彫刻史上屈指の傑作で、そこから彫刻技法のムーヴメントは力の均衡へと一旦向かって平安の定朝様式により純然たる平衡へと至り、鎌倉慶派の沸騰を準備した。この意味で運慶は定朝の分身であり、定朝は鞍作止利の分身で、円成寺大日如来坐像も東大寺南大門金剛力士像も運慶らとの相互生成を遂げた、ともに並行する異系の顕現態だと言える。

 

 《運慶展》の会場では、日本仏教彫刻史における仏師の系譜を系統図として描くパネルが展示され、複数組の観客がそれを血縁図と誤解のうえ織りなす会話を耳にしたが、この誤読は一面で芯を突いていて、この系統図はつまり血統よりも質実な系統樹であり、幹から枝葉への流れこそが顕現へと向かう力動の奔流そのものならばほら、あの夜見上げた仁王像の隆々たる筋肉により振り上げられ繰り出される四肢の躍動は、太古からの反響を伴い風に戦ぐ巨樹の枝葉そのものだ。その四眼凝視の集中点に立つ己もまた、この個にどれほど執着しようと何某かの分身に他ならず、ならばその揺らぎ戦ぎを敢えて拒む意味もない。暗闇に気配を感じ、耳を澄ませる。繁みの揺らぎ、幽かな擦過音。金剛力士との対峙から意識を反らせ、音のするほうへ目線を傾ける。南大門から現代の奈良市街へと伸びる参道の石畳に、一匹の鹿が歩みでていた。華奢な鹿の影姿がふと首を伸ばし、まっすぐにこちらを見据える。
 この一瞬。

 

 

 動物はなお対象界を持たない。真に行為的直観的に働くということはない。動物にはいまだポイエシスということはない。作られたものが作るものを離れない、作られたものが作るものを作るということがない、故に作られたものから作るものへではない。それは生物的身体的形成たるに過ぎない。しかるにモナド的に自己が世界を映すことが逆に世界のペルスペクティーフの一観点であるという人間に至っては、行為的直観的に客観界において物を見ることから働く、いわば自己を外に見ることから働く。作られたものが作るものを作る、作られたものから作るものへである。
 (略)
 しかしかかる個物と世界との関係は、結局ライプニッツの云うごとく表出即表現の世界ということの外にない。モナドが世界を映すとともにペルスペクティーフの一観点である。かかる世界は多と一との絶対矛盾的自己同一として、逆に一つの世界が無数に自己自身を表現するということができる。
  西田幾多郎 「絶対矛盾的自己同一」)
 

 

 

時さへ

https://www.instagram.com/p/BcmWar2AGFB/

 

 
保育園児をしていたころ、7と11の英語表現を覚えたのはひまわり保育園へ通う途上にあったセブンイレブンが、文字通り朝7時に開き夜11時に閉まっていたからだった。たぶんコンビニがコンビニと呼ばれ出したそのころ店頭ではまだマントゥを売ってなかったし、というかタイのセブンイレブンでは今もまだ売っていない。けれど月餅に慣れた華僑成分の濃いバンコクのほうが東京よりアンマンにはだいぶ近しく、つまり早晩売り出すのは目に見えている。日本でいうナチュラルローソンみたいな差別化をタイのコンビニも昨今始めだしているけれど、そこで働く蕩尽への欲望回路に目がいくのはバンコク暮らしそのものが相対視の対象だからで、その幾重にも折り嵩なった心中における諸権勢の合従連衡こそ煩わしくも感じられ、そういうものはCivilization Vのカウント4000を超えた総プレイ時間へ外注し目を背けきたる老後にそなえたい。むろんアンマンはCiv5にも登場するがアンマンにセブンイレブンはたぶんなく、あっても特製豚まんは売れないむろん。

 

「酒とタバコ」の看板も見慣れた時点でその存在すら看過されゆくけれど、smoke kills humanな表記が法的に義務化され昼と夕刻以外は酒を買えない国から戻ってくるたび恒常性による知覚看過のシステムに揺らぎは生じ、次いでキヨスク大麻を売る北海の街を染める夕暮れの寒々しさや、車曳きがハシシと女を商う南洋の裏町をくるむ湿り気など肌身へよみがえるに及び、ケッタイな世をさも何事もなく馬車馬のごとく日々を疾走する人々の淀みなき運行に星々の数十億年が凝縮し反映される奇蹟と退屈とをただ観察する脳漿が想像的にいま観察されている。コンセントレイトされリフレクトをくり返す果てにあなたは単にあなたを更新し、わたしは単にわたしシステムを塗り替えるため塗り替える。根の先から吸い上げられたH2Oが茎を伝い葉の先でO2を放出するように、視界の先で夢や希望とか期待や予期とは無縁の連関結合を視線はくり返し、Facebookの通知音も日本海対岸からのミサイル着弾アラートも天の河対岸での超新星爆発も等価に生起退行し明滅し、観察され反映される。

 

https://www.instagram.com/p/BaLof28hBea/

 
敢えて弱さを選ぶとして、それは君の得意技だけれど本当は君自身がすっかり飽きていて、その面白みに欠け内実の薄い安逸と引き換えに放棄する環世界はしかしなにもしてこない。そこに請求書は発生しない。トレードオフは端から生じずすべては白けたとえ何万人を虐殺しようと一人相撲をするのと大差ない。地球はもう夜11時に終わらない。

 

雨滴は地に墜ち、下水を伝い海原から宙空へ還り降り注ぐ。そこに取引は存在しない。くり返され、くり返されることで明かされる。明かされるべく土のまわりを日はまわり続々と保育し培養され、看板は日に照り返され色褪せて、この心臓は朽ちるまで24時間出納を営みつづける気配だし、この存立条件はただ君がどこかで息していることそれだけだしそれでいい。そのほかは存在のあまねく宇宙の頽落態であり、あってもいいしあることは必然かもしれないけれどそれだけだ。なにかがあるから君がいるのでは決してない。君がいるからすべてはある。おめでとう。時は流石ね。
 

 

 

 

蠱毒

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雨上がり、夜更け。誰かの口笛。ゴミ収集車の作業音。路面に吸い殻。暗がりに猫。


孤独はなかなかの贅沢品で、死んだらもう味わえない。それを言うなら何でもそうだろという種のツッコミは大抵正論だけれど寒々しく、ひとはいつどの瞬間にも部分的には死んでいて、一日の大半を死につづけていてほんの束の間生きる時がある、というこの時にしか味わえないものとして孤独はある。ハチ公前交差点なり、タイムズスクエアのY字路なりをしばらく観察してみればいい。そこに揺らめき流れるあらゆる人間は、電光掲示とスマホ画面に照らし出された半死半生のゾンビだろう。そこで孤独を手にする者は鮮烈だろう。

 

みんな幸せになりたいものと、子供の頃は思っていた。「ひとはみな幸せになるべきです」から始まる文章を、十代の終わりに三ヶ月かけ書きあげたあと、上野の森を一時の棲み処と定めた。結局そのような「みんな」が各人の内で都合よく練りあげられた空集合に過ぎないことは、二十代を通じて確認できた数少ない事実の一つになった。気づけば幸せになりたかった彼は一個の他者と化し霞に覆われ、それはある意味狡猾に己の願望を成し遂げた成果なのだと彼は考える。根元の土は膝丈まで盛り上がっている。つま先が温度を失ってゆくのがわかる。鏡を欲望しないふてぶてしさも、鏡なしには捉えきれない。この両掌に溢れる体液。その体温の、震える流れの、底に嗅ぎとる。そこへ象る。墜ちていく。

 

呪縛に身悶え、抑圧に享楽する身勝手もいまならできるし、この自分だけのものとして個の痛覚を蕩尽できる贅沢を、昔は予期すらしていなかった。時間というのはほんとうに途方もなくて、心はつねに過去と未来を行き来して今を捉えることがない。囚われることがない。気づけばそこにはいつからか木が立っている。泉が戦ぐ梢を映し揺れている。新宿駅改札で、グランドセントラルの地下道で、決壊した隘路をなぞる。木はすべてを見下ろしている。雑踏にあって、一瞬灯りの消えた静けさのなかこちらを眼差すあなたの瞳、その光、その震え。十字を過ぎ双塔は崩れていく。ひび割れた木肌の感触。決壊させた。破壊されたその奥底へと。降りていく。

 

数ヶ月、誰とも口をきかなかったことがある。たぶん何度もある。呪いは福音そのもので、誰にも等しく時は流れてなどいない。そうして記憶の欠けた数年を過ごしたあと襲い来たのは本能的で逃げ場のない、凄まじく巨大な恐怖の塊だった。グラウンドゼロの永久凍土。自分がいて初めてなりたつ最たるもの。その幽かな温もりを、その疼痛を好きなだけ独り占めすればいい。存分に味わって死ね。街路は死ぬたび、延びてゆく。
 

 

 

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