空みたこと花

秋と乾季はじめました

蠱毒

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雨上がり、夜更け。誰かの口笛。ゴミ収集車の作業音。路面に吸い殻。暗がりに猫。


孤独はなかなかの贅沢品で、死んだらもう味わえない。それを言うなら何でもそうだろという種のツッコミは大抵正論だけれど寒々しく、ひとはいつどの瞬間にも部分的には死んでいて、一日の大半を死につづけていてほんの束の間生きる時がある、というこの時にしか味わえないものとして孤独はある。ハチ公前交差点なり、タイムズスクエアのY字路なりをしばらく観察してみればいい。そこに揺らめき流れるあらゆる人間は、電光掲示とスマホ画面に照らし出された半死半生のゾンビだろう。そこで孤独を手にする者は鮮烈だろう。

 

みんな幸せになりたいものと、子供の頃は思っていた。「ひとはみな幸せになるべきです」から始まる文章を、十代の終わりに三ヶ月かけ書きあげたあと、上野の森を一時の棲み処と定めた。結局そのような「みんな」が各人の内で都合よく練りあげられた空集合に過ぎないことは、二十代を通じて確認できた数少ない事実の一つになった。気づけば幸せになりたかった彼は一個の他者と化し霞に覆われ、それはある意味狡猾に己の願望を成し遂げた成果なのだと彼は考える。根元の土は膝丈まで盛り上がっている。つま先が温度を失ってゆくのがわかる。鏡を欲望しないふてぶてしさも、鏡なしには捉えきれない。この両掌に溢れる体液。その体温の、震える流れの、底に嗅ぎとる。そこへ象る。墜ちていく。

 

呪縛に身悶え、抑圧に享楽する身勝手もいまならできるし、この自分だけのものとして個の痛覚を蕩尽できる贅沢を、昔は予期すらしていなかった。時間というのはほんとうに途方もなくて、心はつねに過去と未来を行き来して今を捉えることがない。囚われることがない。気づけばそこにはいつからか木が立っている。泉が戦ぐ梢を映し揺れている。新宿駅改札で、グランドセントラルの地下道で、決壊した隘路をなぞる。木はすべてを見下ろしている。雑踏にあって、一瞬灯りの消えた静けさのなかこちらを眼差すあなたの瞳、その光、その震え。十字を過ぎ双塔は崩れていく。ひび割れた木肌の感触。決壊させた。破壊されたその奥底へと。降りていく。

 

数ヶ月、誰とも口をきかなかったことがある。たぶん何度もある。呪いは福音そのもので、誰にも等しく時は流れてなどいない。そうして記憶の欠けた数年を過ごしたあと襲い来たのは本能的で逃げ場のない、凄まじく巨大な恐怖の塊だった。グラウンドゼロの永久凍土。自分がいて初めてなりたつ最たるもの。その幽かな温もりを、その疼痛を好きなだけ独り占めすればいい。存分に味わって死ね。街路は死ぬたび、延びてゆく。
 

 

 

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心臓

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心臓は律動する。人間はあらかじめ音楽を奏でる生き物で、演奏をやめるときぼくらは人でない何かになる。鼓動、脈動、息を吸い、息を吐く。音楽を聴くとはだから、まず耳を澄ませ、沈黙を聴くことから始まる。眠り、起き、歩き、止まる。器官の律動、呼吸の旋律。沈黙はそれだけでは存在しない。深夜の交差点で、朝焼けに染まるビルの屋上で、聴きとることでそれは生じる。

 

タイやミャンマーの僧侶は戒律により、歌舞音曲を禁じられている。これは一時出家のあいだも含めタイのお寺へ滞在するたびよく考えたのだけれど、言葉尻でいう通り一遍の禁止などでなく、むしろ本物を奏でるために何が大事かを戒律は教えている。人間はあらかじめ音楽を生きている。そのうえいたずらに旋律や律動を加えることなかれ。耳を澄ませ。殊更に音を重ねることなかれ。聴きとれ。その脈動を。その拍動を。それは記憶の古層をたやすく突き抜け自然の摂理へ同期して、眼前に太古と未来とを呼び起こして沈黙する。ただ聴きとれ。

 

目の前で進む日常は渾沌として猥雑で、心に生じる混乱や不安に対し面と向かって怯えるのは嫌だからその瞬間瞬間に自分をだます言い訳ばかりが巧くなってきょう一日をぼくはまた死んでいくけれど、いま進行する事態や事象を名付けることでとりあえず安心する、みたいな心の機制ってありますよね。社会現象とか症例とか、名前が付いたところで変わる現実は何もなくても心のなかの現実が安定すればそれでいいという。けれど名指しの先から始まる思考や感情をこちらが大事にしているときに、相手は同じ名指しによってそのように心を定めてしまうと、そこに生じる時空の歪みは手のつけられないものになる。そうしてあなたは遠のいていく。それは仕方のないことで追いかけないし期待しない。踏み留まって目をつむり耳を澄ませ遠くで今、響きだした音を逃すな。さいごに止まり眠るときは遅かれ早かれ来るのだし、届く見込みがないとしても行けるところまで行くしかないし。

 

君は気配を消すのが巧いから。はるか西方の異国の海をわたる橋の上で、かつて師事したある人にそう言われたことがある。当時はよくわからなかったけれどヒトは社会的動物で、その場その場の関係性から暗黙のうち生じる役割をみな無意識に演じるもので、君もまた器用に演技をこなす凡人のひとりだけれど周りの誰も気づかないうちそれをサボる狡さがある、ということをたぶん彼女は言っていた。狡さといえばひとつの技能で売りになるかもしれないけれど、意図して行えないから実際には単なる天然で、天然だとしてあるいはそう自分をだましているとして、それがこの個体の奏でる律動であるかぎりあとしばらくはそうして生きられる。生きられる時の沈黙がここに生じる。

 

電燈と信号の赤や青に照らされる夜明け前の路面をそうして、立ったまま眺めていた。ふと気づいて顔を上げると藍の空は薄く白みだしていて、帰ってから3時間半眠って起きてこの文章を書きはじめ、もうすこししたら家を出る。半分も飲んでいないカップのコーヒーはすでに冷めきっていて、数十分前には透明に沸騰していたはずのこれら水分子たちのつくる黒い界面に照り返す部屋のランプの灯りとカーテン模様をこの網膜が映しだし、この視覚野が再構成してお前の世界はこうだと知らせるいつからか、それらの生起退行し連環する音の連なりを聴いている。機会があればいつかまた、一緒に耳を澄ませましょう。


 

  

どうでもよくない。

 


男の腕時計の魔力、みたいな広告記事が目に飛び込んできて、機械フェチ心性はあるのでほぉほぉと眺めていたら、タイ上司と日本上司が腕時計談義をしている数年前の光景がよみがえってきて、ああそうなのかと納得した。当時その光景をみてなんかダセェと思ったのは、数十万円からのそれら高級時計を揃えることの、経済価値に換算された自己評価への期待からなるマウンティングへの欲望がどうにも丸出しで、酔いしれている風なのに時計が個々にもつ履歴とかフォルムへの感性練磨の形跡が、語ることばたちから正直伝わってこない。そこが好めなかった。

 

時計、ね。時を計るもの。

 

ところでふだんのぼくは破れたズボンを履き、穴の空いたカバンを背負って仕事へ出かけるのがバンコクでも東京でも常態になっていて、「もういい歳なんだからみすぼらしい恰好はやめなさい」みたいな助言やお叱りも頂戴するのだけれど、こういうモードになったのは実を言えばタイ移住以降のことで、つまりこの何年かの話になる。たとえば藝大学生時や某消費者金融で働いていた頃はいつもクルタとかインドやらチベットやらで買った服を着ていて、その予兆もあった男子中~男子高時代はよく婦人服売り場を漁っていた。ウエストが細すぎて紳士服ではサイズがなく、子供服では袖の長さや腿の太さが足りないのに比べ、女性服はデザインがまず豊富で選ぶ楽しみがありサイズ的にも最適だった。
ちなみに連れの級友男子の幾人かが、婦人服売り場にだけは一緒に入ってくれなかったのが当時は不可解だったけれど、いま思えば男の園に適応しガールフレンドもいない童貞の反応としてそれは当然だったのかもしれない。

 

だから最近知り合ったひとのほとんどからは、ぼくは服に興味がないというか、基本ダサい感じの男に思われているはずだけれど、実は一着を買うため何日もかけ街から街へさまよう時期や、テレ東でやってたパリコレ実況番組を録画し関連雑誌にあたりモードチェックに余念のない時期すらあり、もはや自分で作るほうが早いのではと服飾の教室へ通う時代があって、今日がある。こう書いていて自分でも意外すぎるから、たぶん周囲の誰もが驚くだろうけれどこれは事実で、ではなぜ今はこんな風になっちゃったのか。というのも今着ている服は、下着や肌着やTシャツの類を除けばほとんどが十年選手で、趣味が十年前と変わらないというよりは、そこには選択の営みが介在しない。社会性の欠如も甚だしい。

 

これは服だけでなく例えばヘアスタイルにも言えて、という前にそもヘアとは何か。という域に達した屈託を抱えることだけは、実際会えば即座に納得してもらえるスタイルで、一時出家がどうのタイ移住がどうのと勝手に思い込まれていたりもするけれど、興味がないのでこちらから訂正することもとくにない。
というか一度そう考えてみるとあれれ不思議と、住環境も仕事もすべてがそのようなフレームで捉えなおせるかもしれないと気づきだす。気づいちゃう。どうしてこうなった。いつのまに。

 

 

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好きな子にもらった赤い腕時計を、ずっとつけていた。たぶん、中2か中3くらいから。極小の時計盤には、数字のかわりに色とりどりの国旗が並んでた。何年もつけていて、その子と会わなくなった十代の終わりに、赤い革のバンドがちぎれた。そのあとはもう、時間を確認するため手首を見る習慣はなくなった。

 《どうでもいい》は、《どうでもよくない》なしには成立しない。

 

「型なし」の自由も、「型」なしではあり得ない。それが人間を生きるということで、だから各々が描いてきた履歴とフォルムの教える指標に照らして、彼ら上司たちは実直すぎるほど実直に、真っ当に生きているからその姿を見て、ダサいとぼくはきっと感じた。のだとすれば、それはどうにもわかりやすい話になる。ダセェダセェと粋がっている人間の放つダサさは切ないほどで、言うまでもなく粋からはほど遠い。息してあるこの時間をただ充たすこと。生きられるその連なりの先で、ともにあること。
ことばにするとなんだかとても、シンプルだけれど。

 

時は経るもの。心は過去のもの。

 

 

 

すわるたつ

 

 『実践!! 瞑想の学校』 刊行記念講演会
 藤田一照師×プラユキ・ナラテボー師 対談 @神保町101ビル

 

 

 昨春、始発で葉山のご自宅まで出かけ参加した一照師(曹洞宗)の坐禅会は、坐るまでの過程こそ本番とでもいうような独特のもので、日常感覚の異化という点で他になく得がたい経験をさせてもらった。

 

 プラユキ師のスカトー寺(タイ東北部)滞在は、バンコク移住後のめくるめくタイ生活のなかでもハイライトの一つとなっている。

 

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 このお二人の対談とあっては、お話の中身に関わらず行く価値アリとせざるを得ない。とはいえ交わされるお話の内容そのものは、期待の主な対象から外れていた、と書けば傍目には失礼な物言いに映るのかもしれない。けれど正直なところそこで何が話されるにしろ、主観的に受けとるメッセージが《実践こそ肝要》以外の何かになるとは思えなかったし、具体的な水準では何が話されるのか、あまりにも予想がつかなかった。
 ともあれこのお二人は、ぼくの知る仏教僧のなかでは飛び抜けてロジカルかつプラクティカルな言葉をもつかたで、抹香臭い話に終わらないことだけはハッキリしていた。

 

 この意味では、ご両人がただ向き合って黙っているだけの二時間だったとしても、ぼくとしては極上の場に立ち会える経験となったろう。むしろただ見つめ合っているだけの夜になったらたまらない。ああ自分は行為に加担せず、壁チラのみでひたすら萌えるというBL心性の一典型ってこれなのかと、無闇に合点がいった。無明である。もちろんそうはならなかったざんねん。いや。

 というわけで、できるだけご両人のお顔を終始目に入れていたかったので、満員の会場の隅で一人だけずっと立って聴いていた。午前2時起きの日の夜イベントだったので、椅子に座ったら舟を漕ぎ出す自信に満ちていたというのもある。
 坐らない試みの夜、わるくなかった。


 
 脊髄模型を用いた解剖学的講義や、野口体操の実践という理論的基底のもと皆で体をゆらゆらさせる一照師の坐禅会は、いつまでも坐らないにもかかわらず頭ではなく全身で語りの骨子を納得させられる不思議なものだ。それは神保町に建つオフィスビル内の会議室で催された対談企画でさえ一貫されていて、まず参加者同士のアイスブレーキングから始まった。講演会なのに解凍しちゃうのだ。このあたり、地味にカリフォルニアン・イデオロギーも入っているのが感じられ興味深い。

 マインドフルネス流行の震源である米西海岸文化の思想的根幹に東海岸Ivy Leagueの余韻があり、17年の滞米経験(マサチューセッツ州ヴァレー禅堂)をもつ一照師の語り口にこの余韻が響くことは、彼を他の禅僧と大きく分けている。というあたりはどのていど一照フォロワーのあいだでは共有されているのだろう、など思ったり。

  
 不思議といえば、タイと日本を行き来する時間のなかつくづく不思議に感じることのひとつに、三拝への違和感がある。
 タイのお寺では仏法僧に三拝する。これは肘と額を床につける深い礼拝をくり返す営みで、タイでは問題なくごく自然にできる。しかしたとえば日本人たちに囲まれた東京のタイ式のお寺では、正直いって不自然さしか感じない。礼儀として行うにしろ、違和感は拭いがたい。

 こうして日本語をつかう思考そのものが、属す社会の反映の一形態であるように、所作や仕草もまた周囲の環境や環境にかたちづくられた文化の引きずる文脈に影響され、無自覚のうちに「わたし」の方向性を規定する。坐禅の根幹にお仕着せの日常性からの一時離脱、習慣性の解除がまずあるとするなら、意識のうちで決断的に坐るだけでは足りないのだ、という一照師の指導はだから、プラユキ師の手動瞑想(チャルン・サティー, Dynamic Meditation)とこの無自覚的思考をめぐる圏域で共鳴する。要は意識外の海原に浮遊する《気づき》の機縁にどう呼びかけ、どう導くかという大系。

 

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 いつまでも対談の中身に入らないのは、講演の内容は単行本化されるからネットなどであまり触れないでくれ、とその日の終わり主催のかたから念を押されたからで、だから言わない。いちばんたいせつなことは目に見えない。きらきら。

 とはいえ少しだけ。その場でなされた板書は、プラユキ師の方法論的語りを一照師が脊髄反射的に要点整理したもので、文字化されてみればもっぱら仏教用語により腑分けされたそれらは換骨奪胎され切って、たとえば英語に逐語訳されても明解に通用しそうなあたりがこのお二人のアンサンブルならでは、といったところかな。

 それから慈悲の瞑想をめぐる一照師の屈託は、ご自身の発話する言葉に対する繊細さと鋭さが感じられて良い一幕だった。「効果があるからやるべきとは言えない」というそれをぼくの理解可能な範囲まで堕として言うならたぶん、この不完全な自己から放たれる綺麗すぎる言葉の群れが必然的にもたらすデモーニッシュな暗がりへの看過のことを言っている。そしてこの卓見の端源が、もし一照師による身体を通した全体性の調律への探求と関わりがあるならそれはとても興味の惹かれることで、関わりはたぶんある。


 ところですでに大入りだった会議室に入って、初めに目が合ったのは最後部で待機するプラユキ師で、挨拶しに近づくと開口一番「よくきた」とおっしゃったのが内心によく響いた。

 よく響いたのは、このとき空耳された「よく生きた」と本来の「よくきた」の孕む距離と時間をめぐる意味性が互いを刺激し、再帰的に聴覚野で増幅され反響し合ったゆえであり、月が二つある世界のことを十代のある時期よく絵に描いたことをふと先日ふと思い出したのだけれどこの場合、緑の月はご両人のどちらで赤い月はどちらかなどと思考軸の複数展開される白昼夢をこの一瞬に体験したからでもあり、このように東京滞在は以前と比べどこか夢のように時が過ぎるようになっている。
 もちろんこれが夢だとて、なにか問題があるとも思えない。
 

 


イベント公式HP:

http://www.samgha.co.jp/products/spcontents/spsamghaclub33.html

疾走と牢獄

 

 
“Herbert”というドイツ映画を観た。バンコク都心のシネコンで開催された、ドイツ映画祭2017の企画上映。バンコクゲーテ・インスティトゥートは、東京のそれに比べても存在感がある。なにしろこの街にはゲーテ通りなるものが存在し、といきなり脱線するのは回避して、この映画祭全体がゲーテ・インスティトゥートの主催。で、“Herbert”。

 

元ボクサーの初老男が主人公で、界隈に名の知られた男は、現役のトレーナーとしてジムにも所属する。気に入らない相手は拳で黙らせる矍鑠とした男なのだが、ある日足が思うように上がらなくなる。手が震え出す。あげく、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断される。

 

 


A HEAVY HEART Trailer | Festival 2015

 

 
身も心もマッチョであることが信条だった男には敵も多い。ここぞとばかりに夜道で襲われる。こんなチンピラふたり俺の拳で、とはもういかない。妻の死以来見放されたままの娘との和解も試みる。しかし娘のパートナーを殴ってしまう。やっちまった。孫娘にそれを見られる。こんなはずじゃなかった。病状は進み、だんだん言葉も喋れなくなる。全身の筋肉が言うことを効かなくなっていく。世界が俺を見放していく。

 

親身になってくれる女性もいるが、つっけんどんに扱って男は彼女を追い出してしまう。なんて馬鹿な、と観客の誰しもが思う。女性や子どもや、気を張って生きる必要のない優男の多くはたぶん、「なんて馬鹿な」という以上の感想を持たないだろう。助けを差し伸べてくる女性は癇癪を起こしていい相手じゃないし、短気に振る舞っている場合じゃないと。けれど自分が生き延びるため役に立つからと、好きな女に食べ物を口まで運ばせたいか。下の世話をさせたいか。それができるなら、そもそも男は良い家庭人として生きたろうし、娘に見放されてはおらず、夜道で狙われることもない。死んだほうがましな目に遭うくらいなら、死んだほうがましなのだ。

 

 

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だからこの映画は、舞台こそ男の住んできたドイツ郊外のうらぶれた町をずっと動かないにも関わらず、ロードムービーの趣きを具えている。ロードムービーは、目前の状況が自然に次から次へと変わるため、展開することそのものへの物語的説明が不要になる。“Herbert”は、町こそ変わらないが男の病状が刻々と進行するため、嫌でも語りの質が変わっていく。何の特徴もない古びた町も人も変わらずそこにあり、自分だけが落ちていく。その孤独。その恐怖。拒絶。逃避。諦観。疾走。

 

そう、途中で終わっていた胸の入れ墨を完成させるため訪れてきた彫師の老いた親友を車椅子に載せ、深夜の車道を二人で疾走するシーンだけが爽快だ。酔いどれ中年版『最強のふたり』の、魂の解放シーン。だがその爽快は一瞬で終わってしまう。男はどこへも行けない。でもそれは本当のところ、みんな同じだ。誰もが身体という箍を嵌められて、心の牢獄に囚われている。

 

 

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ぼくがバンコクで映画を観るのは平日の夜回で、終幕はだいたい終電より遅く、帰宅はいつもタクシーになる。タイのタクシーは社会問題化するほど安いぶん質が粗く、世界有数の渋滞をきょうも生き抜いたばかりの運転手が、深夜帯に入って空いた車道をストレス発散気味に疾走する。日本に比べて圧倒的に凹凸豊かな路面を爆進する車体はしばしば少し、宙に浮く。


そしてなぜか宙に浮くたび、地べたと重力に縛られた自分と自分たちの不自由をぼくは想う。窓外の繁華街の明かりや車灯を眺めながら、それがタイへ移ってきた頃からつづく、心の習慣となっていることに気づいてまたかと思う。

 

弛緩と集束、流れる窓外。時は経るもの。
来月でバンコク移住後、4年がたつ。

 

 

 

"Herbert (A Heavy Heart)" ドイツ映画祭2017@バンコクにて。
http://www.majorcineplex.com/news/german-film-week-2017
ゲーテ・インスティトゥートバンコク主催

朝だな

 

 行けるところまで行ってみよう、と地味に思い立つpherimであった。

 って。

 

https://www.instagram.com/p/BRqP_8LAyKw/

 

 日本とタイの往還に明け暮れています。この2年ほど。

 それより前の2年は基本、タイ生活メインだったんだけど。

 

 というより、東京とバンコクの往復だな。初めの2年はあまり日本へ戻らず、土日の休みをとらない代わりに、月に1週間の休みを作って、ふた月分をつなげて近隣国やタイの田舎へ出かけてた。雇われ店長だったのでそういう調整も可能だった。けれどいまや、東京とバンコク以外どこへも寄ってすらいない状態が、気づけば半年以上つづいている。雨傘革命が起きたら香港寄ってみる、とかいう甲斐性がなくなった。甲斐性て。

 引きこもりだな、すこし変態型の。と、ぼくはおもう。やや窒息気味。そういう時期もあって良いけれど、あまり続かせるのも良くないので、いったんやめる。

 

 なんの話だ。と、あなたはおもう。それは正しい。ブログを始めてみるよ、という話なのです。ね。媒体への原稿仕事はちょくちょくしてるし、クローズドの場にもそこそこ書いてる。でもそれらとも異なる質を言葉がまとう場への希求がなぜかあり、twitterでの連ツイが増えているのはそのせいな気もしてきて、しかしnoteはちょっと、居つけない感じが消えない。ので、はてな? しにせのはてな? というながれ。

 

 カンボジア、ヴェトナム、ミャンマー、マレーシア。どこも往復で1万円かからない。あれはあれで、けっこう良かった。ラオスタイ語が上達してからと後回しにした結果、行けていない。上達してない。こう書くと、あたかも旅行ブログでも始めそうな雰囲気だけれど、そうはならない。

 んん。ながい目でみれば、なるのかな。旅とはなにか。

 とりあえず、きょうもバンコクに朝が来た。