空みたこと花

秋と乾季はじめました

心臓

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心臓は律動する。人間はあらかじめ音楽を奏でる生き物で、演奏をやめるときぼくらは人でない何かになる。鼓動、脈動、息を吸い、息を吐く。音楽を聴くとはだから、まず耳を澄ませ、沈黙を聴くことから始まる。眠り、起き、歩き、止まる。器官の律動、呼吸の旋律。沈黙はそれだけでは存在しない。深夜の交差点で、朝焼けに染まるビルの屋上で、聴きとることでそれは生じる。

 

タイやミャンマーの僧侶は戒律により、歌舞音曲を禁じられている。これは一時出家のあいだも含めタイのお寺へ滞在するたびよく考えたのだけれど、言葉尻でいう通り一遍の禁止などでなく、むしろ本物を奏でるために何が大事かを戒律は教えている。人間はあらかじめ音楽を生きている。そのうえいたずらに旋律や律動を加えることなかれ。耳を澄ませ。殊更に音を重ねることなかれ。聴きとれ。その脈動を。その拍動を。それは記憶の古層をたやすく突き抜け自然の摂理へ同期して、眼前に太古と未来とを呼び起こして沈黙する。ただ聴きとれ。

 

目の前で進む日常は渾沌として猥雑で、心に生じる混乱や不安に対し面と向かって怯えるのは嫌だからその瞬間瞬間に自分をだます言い訳ばかりが巧くなってきょう一日をぼくはまた死んでいくけれど、いま進行する事態や事象を名付けることでとりあえず安心する、みたいな心の機制ってありますよね。社会現象とか症例とか、名前が付いたところで変わる現実は何もなくても心のなかの現実が安定すればそれでいいという。けれど名指しの先から始まる思考や感情をこちらが大事にしているときに、相手は同じ名指しによってそのように心を定めてしまうと、そこに生じる時空の歪みは手のつけられないものになる。そうしてあなたは遠のいていく。それは仕方のないことで追いかけないし期待しない。踏み留まって目をつむり耳を澄ませ遠くで今、響きだした音を逃すな。さいごに止まり眠るときは遅かれ早かれ来るのだし、届く見込みがないとしても行けるところまで行くしかないし。

 

君は気配を消すのが巧いから。はるか西方の異国の海をわたる橋の上で、かつて師事したある人にそう言われたことがある。当時はよくわからなかったけれどヒトは社会的動物で、その場その場の関係性から暗黙のうち生じる役割をみな無意識に演じるもので、君もまた器用に演技をこなす凡人のひとりだけれど周りの誰も気づかないうちそれをサボる狡さがある、ということをたぶん彼女は言っていた。狡さといえばひとつの技能で売りになるかもしれないけれど、意図して行えないから実際には単なる天然で、天然だとしてあるいはそう自分をだましているとして、それがこの個体の奏でる律動であるかぎりあとしばらくはそうして生きられる。生きられる時の沈黙がここに生じる。

 

電燈と信号の赤や青に照らされる夜明け前の路面をそうして、立ったまま眺めていた。ふと気づいて顔を上げると藍の空は薄く白みだしていて、帰ってから3時間半眠って起きてこの文章を書きはじめ、もうすこししたら家を出る。半分も飲んでいないカップのコーヒーはすでに冷めきっていて、数十分前には透明に沸騰していたはずのこれら水分子たちのつくる黒い界面に照り返す部屋のランプの灯りとカーテン模様をこの網膜が映しだし、この視覚野が再構成してお前の世界はこうだと知らせるいつからか、それらの生起退行し連環する音の連なりを聴いている。機会があればいつかまた、一緒に耳を澄ませましょう。