空みたこと花

冬と乾季はじめました

運慶、鑿、円成

  

 しからば物を作るとは、如何なることであるか。物を作るとは、物と物の結合を変ずることでなければならない。大工が物を作ると云うのは、物の性質にしたがって、物と物との結合を変ずること、即ち形を変ずることでなければならない。

  西田幾多郎 「絶対矛盾的自己同一」)
 

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 十九年ぶり、ということになる。
 
 上野東博まで東下った円成寺大日如来坐像の、イマジナリーな脊柱のS字曲線によりつくられる後ろ背の窪みが孕む艶やかさを、脇から眺める。かつて奈良円成寺の多宝塔地階の暗がりで得た視覚記憶の描くS字カーヴに、それは精確に重なっている。安元二年、西暦1176年作のこの坐像にとって、たとえばこの十九年という時間はどのようなものであったろう。剥落による積層の、終わらない彫塑の尖端過程として。
 巡った寺社のなかには当時、阪神大震災の傷痕を生々しく残す場所も少なくなかった。

 
 現在を単に瞬間的として連続的直線の一点と考えるならば、現在というものはなく、したがって時というものはない。過去は現在において過ぎ去ったものでありながら未だ過ぎ去らないものであり、未来は未だ来たらざるものでありながら現在において既に現れているものであり、現在の矛盾的自己同一として過去と未来が対立し、時というものが成立するのである。
  (西田、同)

 

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 円成寺大日如来坐像は、現存する運慶最古の像で、二十代後半の作とされている。個の創作履歴初期においてその表現性はすでに至高の域へと達し、それがそのまま流派の粋であり日本彫刻史頂点の一角を形成する点に、この坐像の凄味はある。重厚な具象性を抽象美の内へ閉じ込める独特の頬の膨らみや二の腕の描く優美は、大陸風を強く残す謎多き止利仏師から定朝様を経たこの国の仏教美術が、純然たる土着展開のルートへと切り返すターニングポイントにこの像が坐すことを物語る。それはまた外来の仏教が数世紀を経てようやく真の土着化、すなわち密教的深化を遂げるタイミングとも軌を一にする。
 そうして840年間、一度も印契を解くことなく衣紋の襞を戦がせることもなく、そこへ坐しつづけている。あるいはそのようにいま、見えている。

 
 かかる物の見方は物を外に見るのではなく、物を内に見るということでなければならぬ。それは自己の外に他を見、その他が自己であるという私の所謂真の直覚と考えられるものでなければならない。自己の内に自己を見るという自覚に於て、内に見られる絶対の他と考えられるものは物ではなくして、他人という物でなければならない。而してかかる他が自己に於て見られると考えられるかぎり、それは自己でなければならない。自覚的限定の形式に於て物の人格化ということが考えられるのである。而してかかる人格的世界の内容が情意の内容と考えられるものでなければならない。
  西田幾多郎 「私と汝」)

 

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 東京国立博物館特別展《運慶》のため奈良から上京したネット上の知人と、会期の最終日夕刻品川にて待ち合わせた。彼女からバンコクに住む理由を尋ねられ、予期していなかった質問にこう即答する自分に内心すこし、驚いた。

 

 「日本語で考える生活に飽きたから」

 

 飽きたという表現が正確ではないことは、言ってすぐに気づいていた。ほんとうに触れてみたい日本語は、一度離れることなしには獲得されない。という直観。切迫感。この窮屈が幼い頃からの気詰まりによるものか、他の何某かの欲望なり不安なりの反映なのかすらわからない。ゆえにそれは必要であり、必然として踏むべき乖離の階梯、とかつて目した。もっともそこは話の流れと関係なかったし、タイである理由とは無縁の細部ゆえ敢えて訂正はしなかった。死ぬまでここに坐しつづけるか。誰から頼まれてもいないのに? 自らを縛りつづけるか。その両足で君は動けるのに?

 

 礼拝の対象である本尊仏は、本来正面からのみ崇められ畏れられる。光背すら伴う背側の造形はしたがって、当時の社会的要請からみれば基本的に不要であり無用であった。誰から頼まれてもいない。言語行為論、発話行為仮説が示唆するのは、あらゆる因果論的および目的論的解釈の両者が成り立つ言語的表象と同様、表現行為の全体が可能な二通りの解釈を有するということだ。うちひとつは情報の伝達であり、もうひとつは観念の現実化である。その瑞々しく表出された背面の曲線に、即時的「伝達」の機能は込められていない。ではいったい何のための「現実化」か。名辞がそうであるように彫像もまた成果であるのみならず、つねに導因の一形態なのだ。

 
 かくして知覚の野を何処までも深めて行けば、アリストテレスのいわゆる共通感覚 sensus communus の如きものに到達せなければならぬ。分別すると言えば、直に判断作用が考えられるのであるが、判断作用の如く感覚を離れたものではない、感覚に附着してこれを識別するのである。此の如きものを私は場所としての一般的概念と考えるのである。何となれば、一般的概念とは此のごとき場所が更に無限に深い無の場所に映されたる影像なるが故である。
  西田幾多郎 「場所」)

 

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 十六年前。

 

 奈良の町なかにたつ、東京藝術大学附属の古美術研究施設から門限を破って夜な夜な抜け出し、東大寺南大門の門下中央で、数時間をひとり過ごした。運慶、快慶らによる一対の金剛力士立像の見下ろす視線は、ちょうど門下中央部に立つ大人の頭部の位置で交わる。つまりそこから一方を見上げれば、他方から降り落ちる凝視を後ろ背で感じることになる。当時南大門の金剛力士立像には、各々の足下からスポットライトが当てられ、昼よりも陰影のコントラストが一層強烈な、猛る仁王様を楽しめた。春先だった。息が白んだのを覚えている。遠く参道の入り口からは時折、車輌のヘッドライトの放つ白光がこちらへと長く差し込んでくる。

 

 金剛力士立像、つまり仁王像が、口を開いた阿形と口を結んだ吽形の一対により構成されることはよく知られるが、実は両者はともに同一神の分化した顕現態で、いわば互いを鏡像的分身として包摂的に仏法を守護している。という筋立ては興味深く印象的で、しかし今ネットを検索しても、分化以前の執金剛神やヒンドゥー起源の那羅延と密迹をめぐる個別言及までは辿れるけれど、そこから先が見当たらない。日本語文脈に関してネット検索で見つからないと詰む点は、目下タイ暮らしへかかる大きな負荷のひとつとなっている。
 ともあれ分化により相互生成的に一方が他方へと作用し作用された結果として、部分の総和はしばしばその総体を乗り越える。この分化と相互感応こそ真相と模倣、道具と素材、生産者と受容者などあらゆる相関性へと及ぶ、文化創造の基本原理だ。

 
 たとえば一生懸命に断崖を攀ずる場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き、全く知覚の連続といってよい。(略)これらの精神現象においては、知覚が厳密なる統一と連絡とを保ち、意識が一より他に転ずるも、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起しその間に思惟を入れるべき少しの亀裂もない。
  西田幾多郎善の研究」)

 

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 飛鳥奈良の仏像彫刻は、私見ながら身体表現の面においてエネルギーの内向をその最大の強みとする。止利仏師による法隆寺金堂釈迦三尊における両脇侍像はこの観点、内へ向かうエネルギーの集中と充溢の点で日本彫刻史上屈指の傑作で、そこから彫刻技法のムーヴメントは力の均衡へと一旦向かって平安の定朝様式により純然たる平衡へと至り、鎌倉慶派の沸騰を準備した。この意味で運慶は定朝の分身であり、定朝は鞍作止利の分身で、円成寺大日如来坐像も東大寺南大門金剛力士像も運慶らとの相互生成を遂げた、ともに並行する異系の顕現態だと言える。

 

 《運慶展》の会場では、日本仏教彫刻史における仏師の系譜を系統図として描くパネルが展示され、複数組の観客がそれを血縁図と誤解のうえ織りなす会話を耳にしたが、この誤読は一面で芯を突いていて、この系統図はつまり血統よりも質実な系統樹であり、幹から枝葉への流れこそが顕現へと向かう力動の奔流そのものならばほら、あの夜見上げた仁王像の隆々たる筋肉により振り上げられ繰り出される四肢の躍動は、太古からの反響を伴い風に戦ぐ巨樹の枝葉そのものだ。その四眼凝視の集中点に立つ己もまた、この個にどれほど執着しようと何某かの分身に他ならず、ならばその揺らぎ戦ぎを敢えて拒む意味もない。暗闇に気配を感じ、耳を澄ませる。繁みの揺らぎ、幽かな擦過音。金剛力士との対峙から意識を反らせ、音のするほうへ目線を傾ける。南大門から現代の奈良市街へと伸びる参道の石畳に、一匹の鹿が歩みでていた。華奢な鹿の影姿がふと首を伸ばし、まっすぐにこちらを見据える。
 この一瞬。

 

 

 動物はなお対象界を持たない。真に行為的直観的に働くということはない。動物にはいまだポイエシスということはない。作られたものが作るものを離れない、作られたものが作るものを作るということがない、故に作られたものから作るものへではない。それは生物的身体的形成たるに過ぎない。しかるにモナド的に自己が世界を映すことが逆に世界のペルスペクティーフの一観点であるという人間に至っては、行為的直観的に客観界において物を見ることから働く、いわば自己を外に見ることから働く。作られたものが作るものを作る、作られたものから作るものへである。
 (略)
 しかしかかる個物と世界との関係は、結局ライプニッツの云うごとく表出即表現の世界ということの外にない。モナドが世界を映すとともにペルスペクティーフの一観点である。かかる世界は多と一との絶対矛盾的自己同一として、逆に一つの世界が無数に自己自身を表現するということができる。
  西田幾多郎 「絶対矛盾的自己同一」)