疾走と牢獄

 

 
 “Herbert”というドイツ映画を観た。バンコク都心のシネコンで開催された、ドイツ映画祭2017の企画上映。バンコクゲーテ・インスティトゥートは、東京のそれに比べても存在感がある。なにしろこの街にはゲーテ通りなるものが存在し、といきなり脱線するのは回避して、この映画祭全体がゲーテ・インスティトゥートの主催。で、“Herbert”。

 

 元ボクサーの初老男が主人公で、界隈に名の知られた男は、現役のトレーナーとしてジムにも所属する。気に入らない相手は拳で黙らせる矍鑠とした男なのだが、ある日足が思うように上がらなくなる。手が震え出す。あげく、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断される。

 

 


A HEAVY HEART Trailer | Festival 2015

 

 
 身も心もマッチョであることが信条だった男には敵も多い。ここぞとばかりに夜道で襲われる。こんなチンピラふたり俺の拳で、とはもういかない。妻の死以来見放されたままの娘との和解も試みる。しかし娘のパートナーを殴ってしまう。やっちまった。孫娘にそれを見られる。こんなはずじゃなかった。病状は進み、だんだん言葉も喋れなくなる。全身の筋肉が言うことを効かなくなっていく。世界が俺を見放していく。

 

 親身になってくれる女性もいるが、つっけんどんに扱って男は彼女を追い出してしまう。なんて馬鹿な、と観客の誰しもが思う。女性や子どもや、気を張って生きる必要のない優男の多くはたぶん、「なんて馬鹿な」という以上の感想を持たないだろう。助けを差し伸べてくる女性は癇癪を起こしていい相手じゃないし、短気に振る舞っている場合じゃないと。けれど自分が生き延びるため役に立つからと、好きな女に食べ物を口まで運ばせたいか。下の世話をさせたいか。それができるなら、そもそも男は良い家庭人として生きたろうし、娘に見放されてはおらず、夜道で狙われることもない。死んだほうがましな目に遭うくらいなら、死んだほうがましなのだ。

 

 

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 だからこの映画は、舞台こそ男の住んできたドイツ郊外のうらぶれた町をずっと動かないにも関わらず、ロードムービーの趣きを具えている。ロードムービーは、目前の状況が自然に次から次へと変わるため、展開することそのものへの物語的説明が不要になる。“Herbert”は、町こそ変わらないが男の病状が刻々と進行するため、嫌でも語りの質が変わっていく。何の特徴もない古びた町も人も変わらずそこにあり、自分だけが落ちていく。その孤独。その恐怖。拒絶。逃避。諦観。疾走。

 

 そう、途中で終わっていた胸の入れ墨を完成させるため訪れてきた彫師の老いた親友を車椅子に載せ、深夜の車道を二人で疾走するシーンだけが爽快だ。酔いどれ中年版『最強のふたり』の、魂の解放シーン。だがその爽快は一瞬で終わってしまう。男はどこへも行けない。でもそれは本当のところ、みんな同じだ。誰もが身体という箍を嵌められて、心の牢獄に囚われている。

 

 

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 ぼくがバンコクで映画を観るのは平日の夜回で、終幕はだいたい終電より遅く、帰宅はいつもタクシーになる。タイのタクシーは社会問題化するほど安いぶん質が粗く、世界有数の渋滞をきょうも生き抜いたばかりの運転手が、深夜帯に入って空いた車道をストレス発散気味に疾走する。日本に比べて圧倒的に凹凸豊かな路面を爆進する車体はしばしば少し、宙に浮く。


 そしてなぜか宙に浮くたび、地べたと重力に縛られた自分と自分たちの不自由をぼくは想う。窓外の繁華街の明かりや車灯を眺めながら、それがタイへ移ってきた頃からつづく、心の習慣となっていることに気づいてまたかと思う。

 

 弛緩と集束、流れる窓外。時は経るもの。
 来月でバンコク移住後、4年がたつ。

 

 

 

"Herbert (A Heavy Heart)" ドイツ映画祭2017@バンコクにて。
http://www.majorcineplex.com/news/german-film-week-2017
ゲーテ・インスティトゥートバンコク主催